先に進みます。このあたりからは旧道らしく曲がっていて道幅も狭く、車もけっこう通り過ぎるので、前にも後ろにも注意しながら歩く必要があります。
しばらく進むと、東武線の踏切を渡ります。
踏切からしばらく進むと、「草加バイパス」(国道4号線)陸橋下の「大袋駅入口交差点」。左手が東武線「大袋駅」。
沿道には何ヶ所か小さな墓地が点在しています。家の脇にあるのがこの付近の風習なのか?
旧道のようす。
旧道を進むと「陸橋入口」。ここで「国道4号線」に合流します。
中央奥が来た道(旧道)。
「日本橋から30㎞」ポスト。
そろそろ昼食。しばらく進んで、左に折れて「せんげん台」駅前に。「なか卯」に入ってここで、昼食・休憩。けっこう日差しも強くなってきました。
再開。(12:26)「新方川」に架かる「戸井橋」を渡ると、春日部市にはいります。
正面の「道路表示」は「小山 古河」という地名が。栃木県もそう遠くなさそうですが。
「国道4号線」ということで、車の通行量も多いようです。道沿いにはいろいろなお店が立ち並んでいます。自転車通学生が勢いよく通り過ぎていきます。
「武里駅」入口を過ぎて備後という地域に入ります。右側には田園風景が広がります。緑も濃い中に、立派なお屋敷が。
(13:00)その先、「備後(北)」交差点には右手に「備後一里塚跡」碑。
碑の裏手は「大落古利根川」。
大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)
埼玉県に流れる一級河川。利根川水系中川の支流で、流路延長は26.7キロメートル。
その名のとおり徳川家康江戸入府以前の利根川であり、文禄3年(1594年)に会の川が羽生市上新郷で、元和7年(1621年)に浅間川が久喜市高柳で締め切られ上流を失ったものである。後排水路となり、「大落」とは農業排水を落とすの意味である。
かつては、加須市川口付近にあった会の川と浅間川の合流点を始まりとしたが、現在の当川の上流は葛西用水路で、久喜市と杉戸町の境界にある葛西橋が現在の起点である。杉戸町・宮代町・春日部市・越谷市・松伏町の境界付近を流れ、松伏町と越谷市の境で中川に合流する。おおむね北葛飾郡市と南埼玉郡市の境界に沿っている。
ゆるやかな流れ。畑や住宅地が広がる。
(13:15)「日本橋まで34㎞」ポスト。
「東武野田線」のガードを過ぎる。
さらに「35㎞」ポストを過ぎ、「一宮交差点」を左へ進みます。旧道は、斜め左の道。春日部駅方面を目指します。いよ「粕壁(春日部)宿」。
1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。←が現在の「一宮交差点」付近。
しばらく進むと、東武線の踏切を渡ります。
踏切からしばらく進むと、「草加バイパス」(国道4号線)陸橋下の「大袋駅入口交差点」。左手が東武線「大袋駅」。
沿道には何ヶ所か小さな墓地が点在しています。家の脇にあるのがこの付近の風習なのか?
旧道のようす。
旧道を進むと「陸橋入口」。ここで「国道4号線」に合流します。
中央奥が来た道(旧道)。
「日本橋から30㎞」ポスト。
そろそろ昼食。しばらく進んで、左に折れて「せんげん台」駅前に。「なか卯」に入ってここで、昼食・休憩。けっこう日差しも強くなってきました。
再開。(12:26)「新方川」に架かる「戸井橋」を渡ると、春日部市にはいります。
正面の「道路表示」は「小山 古河」という地名が。栃木県もそう遠くなさそうですが。
「国道4号線」ということで、車の通行量も多いようです。道沿いにはいろいろなお店が立ち並んでいます。自転車通学生が勢いよく通り過ぎていきます。
「武里駅」入口を過ぎて備後という地域に入ります。右側には田園風景が広がります。緑も濃い中に、立派なお屋敷が。
(13:00)その先、「備後(北)」交差点には右手に「備後一里塚跡」碑。
碑の裏手は「大落古利根川」。
大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)
埼玉県に流れる一級河川。利根川水系中川の支流で、流路延長は26.7キロメートル。
その名のとおり徳川家康江戸入府以前の利根川であり、文禄3年(1594年)に会の川が羽生市上新郷で、元和7年(1621年)に浅間川が久喜市高柳で締め切られ上流を失ったものである。後排水路となり、「大落」とは農業排水を落とすの意味である。
かつては、加須市川口付近にあった会の川と浅間川の合流点を始まりとしたが、現在の当川の上流は葛西用水路で、久喜市と杉戸町の境界にある葛西橋が現在の起点である。杉戸町・宮代町・春日部市・越谷市・松伏町の境界付近を流れ、松伏町と越谷市の境で中川に合流する。おおむね北葛飾郡市と南埼玉郡市の境界に沿っている。
ゆるやかな流れ。畑や住宅地が広がる。
(13:15)「日本橋まで34㎞」ポスト。
「東武野田線」のガードを過ぎる。
さらに「35㎞」ポストを過ぎ、「一宮交差点」を左へ進みます。旧道は、斜め左の道。春日部駅方面を目指します。いよ「粕壁(春日部)宿」。
1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。←が現在の「一宮交差点」付近。
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