おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

結婚支度金が1億5千万

2005-11-08 22:57:42 | つぶやき
 まもなく天皇家の娘が結婚式をあげます。その結婚のために、政府は予備費から1億5千万以上の税金を支出することを決めました。すげー!気前のよさ! 結婚後、小切手で手渡されるらしいです。
 娘が嫁ぐとなると、家一軒が建てる金が必要に、とはどこかの地方。今でもそういうふうに言われているとか。それにしても、1億円以上の結婚準備金とは!
 我が娘が嫁に行くときには、なけなしの金をはたいてどうにかメンツを保とうにも、それすら叶わず・・・無念な思いをしたのは、このおやじのふがいなさしかなかったのです。
 それにひきかえ、たいしたものですね。もう天文学的な数字の借金を抱えている破産・日本国もポンと出してやる気前のよさ。しかたがないのですかね、こういうことは。たかが一介の都庁職員のおかみさんになる、っていうのは、これはえらいことなのですね。やっていけるのかしら、てな心配でぽんと出すというわけでもないでしょうが。もしかして「手切れ金」。もう国は面倒みないからあんたたちでやっていきな!これがホントの自己責任論でしょうか。
 時あたかも女帝容認を巡って、皇族の某が伝統に反するとか発言したり、皇室の伝統を守る輩も、それに勢いづいてかマスコミにも登場して、「何とか会議」の結論の異論を唱えています。
 これしきのことで、ふらついては名が廃るとやらで、座長は一歩もひるむ気配はなさそうです。コイズミさんも、こうなりゃ、後にはひかない覚悟がおありのようで。さっと結論を出し、皇室典範を改めて、決めたい意向。あまり国民の間で2分3分されて議論が長引くと、かえって得策ではないとでも思っているのでしょう。
 それにしても、1億5千万とは!この際、一切合切「皇室」などという苔むした巌などはうちゃって、共和制にしてみたほうがいいのではないでしょうか。これこそ、コイズミさんが年来の主張「官から民へ」ではないでしょうかね。
 無駄な経費を削減する、皆、国民はその痛みを味わっているのです、今もこれからも。天皇たるもの、こうした民草の苦しみをお分かりになられ、分かち合うお覚悟をもお持ち合わせの方のようにお見受けしますので。
 そうそう、長男夫婦一家も何だか大変なようですから。
 次男の方は、あわよくば自分が、てな山っ気が多い方のようですから、このままでいいとしても、堅苦しい上下なんざさっぱりと脱いで「国民」になったがよろしゅうおまっせ。
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高齢化の波がここまでも

2005-11-06 23:49:21 | 世間世界
 これから書くのは独断と偏見に基づく感想です。知人宅へでかけたときの話。
 総選挙での狂騒が終わったのはつい先日。またぞろ駅前が、朝に晩ににぎやかになりました。地方選挙でもあるのでしょうか。候補者たちが駅の階段下に陣取っての名前の連呼です。自民党・公明党・民主党・共産党・社民党あとは無所属?諸党派? そこで気になったのが候補者の姿・性別・年齢など。
 どの党も女性たちの元気な姿が目立ちます。ビラ配りも元気な様子、声も手もよく出る。某牛角や某美容室の宣伝隊よりも積極的に頑張っています。
 男性もいますが、大体がビラ配り、旗持ち(準備)。どこでどういうふうに事前調整しているのか分かりませんが、どの党もうまく時間と場所を割り振ってかち合わずに声を出しています。ほとんど受け取る人もいず、立ち止まる人もいない、にもかかわらず声を枯らして演説しています。
 忙しい出勤時や帰宅時を狙って駅前に立つよりも、主婦(家事労働者)を狙って大型スーパーとかコンビニの前で、ビラを配ったり演説した方がいいように思うのですが、やってはいけないのでしょうか。それに、ティッシュとかで受け取りやすくするとかできないのですかね。
 今やマニフェストなんて(言い方が合っているかもさだかでないほどもう国民の関心はなさそう)代物を配っていても、この間の総選挙で惨敗したことの反省がないようです。
 しかし、候補者も応援する連中も確実に若返っています。これはとてもいいことですね。こざっぱりとしたスーツを着こなし、その辺の若手サラリーマン風情の青年が、恥ずかしげもなく党名の書かれた幟を掲げ、かいがいしく候補者の世話を焼いている。見方は様々でしょうが、悪いことではないでしょう。
 議員になるのも就職先の一つ。そう考えれば、演説も立派な就職活動。力が入るのも当然でしょうか。ただ不思議なのは、見知った顔がないことです。まだまだ知人と顔を合わせるのが恥ずかしい? いずれにしてもこの間の選挙を契機に若者が政治参加するのは結構なことでしょう。保守的な立場であれ、何であれ。
 その一方で、今日の夕方、古色蒼然とした候補者と応援者に出くわしました。某政党の方々です。演説していた女性候補。最近見かける他の党の方よりは、少しお年を召した方でした。
 が、もっと驚いたのは、ビラ配りの方々でした。小生よりもずっと年上のお爺さん、お婆さんばかり。若い人の姿は見当たらず。気の毒なくらい必死にビラを配っていました。某牛角のお姉ちゃん、お兄ちゃんと並んでの声かけとビラ配り。そういえば、こういうことを以前書いたことがありましたっけ。その時と全く変わらない風情でした。
 何だかもっと年取ったような感じです。主義。主張はともかく、もっと若い方に応援を頼んだ方がいいよと、特別な親近感があるわけじゃないのですが、何だか切なくなりました。おじいちゃん、おばあちゃん、元気で頑張って下さいと声をかける気もありませんでしたが。
 良くも悪くも、時代の流れに完全に取り残されているように思いました。悲しい現実がそこにありました。
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自己責任?

2005-11-05 23:04:58 | 世間世界
 先日こんなメールを見た。医療費に関連してのもの。72才の男性。
 曰く、「老人医療費の自己負担増はやむをえない。これからの年金や社会保険制度を考えるとき、医療費の値上げは必要。とりわけ、生活習慣病による疾病については、当人の勝手気ままな生活から起こしたものだ。それなのに、それまで健康に気をつけてきた人間が、その負担をさせられるのはおかしい。3割以上の自己負担ぐらいが当然だ。」
 高齢者の病気のほとんどは、生活習慣病とも言われる。健康な老人から見ると、不摂生による、こうした病気は許されないらしい。若者からではなくて、年寄りから意見が出てくるところに、この問題の悲喜劇がある。
 もともとこうした病気を生活習慣病と名付けたのは、たしか、かの有名な高齢医師・聖路加の日野原さんだったか? 
 酒・タバコ・運動不足・・・。これらはダメだダメだダメだ・・・。にもかかわらず、注意も聞かず、好き勝手なことをして罹ったのだから・・・。
 予防医学が重要になってきているのは、事実だ。それも、医療費抑制のためにという大義名分のもとで、官主導の政策になりつつある。そうした中で、因果応報思想によるのか、病気になったのは自分の責任だ、悪い!
 病気の選別・医療費負担増による「弱者」切り捨てが、この方の「我見」ではなくて、世間的に受け入れ始めているのか。この内容が、今のコイズミ政治の在り方に批判的なブログへのメールであることを思うと、ぞっとした。
 タバコの害を言いながら、自動販売機を規制せず、広告を野放しにし、外国タバコを売りさばく。酒もそう。自販機中心と安売り合戦・・・。儲け第一主義、企業保護主義、税金の収入源、・・・。政府が生活習慣病を助長していったすぎないのではないか。
 小生の知人に、酒もタバコもやらず、適度な運動もし、食事には人一倍気をつけ定期検診を半年ごとに行っていながら、ガンが発見された時はもう手遅れだった方もいる。病気にかかるのもまさに文字通り「命」がけになってきたのかと。一部の風潮でなければいいのだが、こうした「自己責任論」が病気にまでおよんでいることが。
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1年前と情勢はどう変わったのか

2005-11-01 22:49:45 | 平和
 1年前の11月。イラクで香田さんが殺害された。ブッシュが再選された。コイズミもイシハラも意気軒昂であった。それから1年。コイズミは第3次改造内閣を発足させた。総選挙で空前の大勝利を得たコイズミさんは今やますます意気軒昂である。イシハラさんもオリンピックへの名乗りをはじめ意気は衰えない。意気消沈はサヨク陣営だけである。選挙もことあるごとに敗北・敗走を重ねた。ことによるウヨクもそうかもしれない。街宣車の声も聞こえなくなった。
 反面、ブッシュは、今イラク戦争への大義名分を失い、ほころびが各所に見え始め、全く勢いがなくなった。
 一人勝ちのコイズミ・ライン。どうにもならないのかとも思う。1年前の記事を改めて思い返した。いよいよ憲法改悪の路線か、はたまたねばり強く抵抗運動を続けながら活路を見出すか。正念場を迎えた2005年11月だ。1年前の記事を再掲した。

 ブッシュの再選は、イラクをますます泥沼化させた。アメリカでは戦時下の選挙は、現職大統領有利だそうだ。国民が戦争の遂行を支持したということが国民の団結にとって重要なことだから。
 しかし、今回の選挙は、イラク戦争の是非を巡るというよりも、国内問題における共和党の政策の勝利ではないか。道徳的退廃に対する警戒のもとで、銃規制反対、中絶反対などが象徴するように、これまでのよきアメリカ的伝統に支えられた生活を守りたい、という白人保守層の勝利といえる。州別の勝利数をみても、ブッシュの圧勝であり、共和党が上院下院どちらも多数を占めたことで、ますますそうした傾向を強く感じる。
 全体的にこれまで以上にアメリカ国民の意識が保守化してきたのであろう。大国アメリカの孤立がはっきりした、というふうに突っぱねた見方もあるが、むしろ、世界的にどの国でも保守的になってきたのではないだろうか。いわば、欧州の伝統的な民主主義的姿勢に対してNOを突きつけたのであろう。
 日本のコイズミは、アメリカ追随という面ばかりではない。あの靖国神社へのこだわりは、たとえ中国と関係が悪化したとしても、たとえ違憲判決がでたとしても全く居直り、「靖国参拝」を貫き通している。実は、背後にコイズミの横暴を支える人々がいるのだ。郵政民営化には反対であっても、これまでにない保守的な姿勢を多くの国民は支持しているのである。つまり、表面的な反動性に目を向けるだけでなく、それを根深く支える人々が広範にいる、ということにも目を向けなければならないだろう。
 石原都知事も、天皇の靖国神社参拝要請、拉致被害者救援のために武力行使も辞さず、など、意識的で過激な発言は、一部の顰蹙を買うものの、選挙になれば都民の圧倒的な支持を集める。歴史教科書採択や君が代処分のように強権を発動し、独特の口調で己の主義主張を通す。それに対してほとんどの都民は黙ったままである。国民の保守化傾向は、かつて「草の根保守」と言われたが、今、イシハラは意気揚々とTVで持論をまくし立てていられるほど、支持者が多くいるということなのだ。少しばかりおべっかを使う司会者のもとで。
 アメリカにも日本にもロシアにもいたるところで超・新保守主義がはびこる。しかし、必ず利害関係が生じて仲間割れするのが、一国保守主義者の宿命である。
 にもかかわらず、表面的にはいよいよ保守が力をつけて、「戦後民主主義」に対する非難と改革を続け、憲法や教育基本法を改悪していこうとする策謀を強めていくに違いない。ことによれば、問答無用の暴力を行使してまで。
 これからどのような世の中になるのか。戦後民主主義などという言葉は、もう死語なのか。超えるべき、打倒すべき対象なのか。今一度、皆で、立ち止まって考えてみたい。再びかつての道に踏み出す前に。

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