1年前の11月。イラクで香田さんが殺害された。ブッシュが再選された。コイズミもイシハラも意気軒昂であった。それから1年。コイズミは第3次改造内閣を発足させた。総選挙で空前の大勝利を得たコイズミさんは今やますます意気軒昂である。イシハラさんもオリンピックへの名乗りをはじめ意気は衰えない。意気消沈はサヨク陣営だけである。選挙もことあるごとに敗北・敗走を重ねた。ことによるウヨクもそうかもしれない。街宣車の声も聞こえなくなった。
反面、ブッシュは、今イラク戦争への大義名分を失い、ほころびが各所に見え始め、全く勢いがなくなった。
一人勝ちのコイズミ・ライン。どうにもならないのかとも思う。1年前の記事を改めて思い返した。いよいよ憲法改悪の路線か、はたまたねばり強く抵抗運動を続けながら活路を見出すか。正念場を迎えた2005年11月だ。1年前の記事を再掲した。
ブッシュの再選は、イラクをますます泥沼化させた。アメリカでは戦時下の選挙は、現職大統領有利だそうだ。国民が戦争の遂行を支持したということが国民の団結にとって重要なことだから。
しかし、今回の選挙は、イラク戦争の是非を巡るというよりも、国内問題における共和党の政策の勝利ではないか。道徳的退廃に対する警戒のもとで、銃規制反対、中絶反対などが象徴するように、これまでのよきアメリカ的伝統に支えられた生活を守りたい、という白人保守層の勝利といえる。州別の勝利数をみても、ブッシュの圧勝であり、共和党が上院下院どちらも多数を占めたことで、ますますそうした傾向を強く感じる。
全体的にこれまで以上にアメリカ国民の意識が保守化してきたのであろう。大国アメリカの孤立がはっきりした、というふうに突っぱねた見方もあるが、むしろ、世界的にどの国でも保守的になってきたのではないだろうか。いわば、欧州の伝統的な民主主義的姿勢に対してNOを突きつけたのであろう。
日本のコイズミは、アメリカ追随という面ばかりではない。あの靖国神社へのこだわりは、たとえ中国と関係が悪化したとしても、たとえ違憲判決がでたとしても全く居直り、「靖国参拝」を貫き通している。実は、背後にコイズミの横暴を支える人々がいるのだ。郵政民営化には反対であっても、これまでにない保守的な姿勢を多くの国民は支持しているのである。つまり、表面的な反動性に目を向けるだけでなく、それを根深く支える人々が広範にいる、ということにも目を向けなければならないだろう。
石原都知事も、天皇の靖国神社参拝要請、拉致被害者救援のために武力行使も辞さず、など、意識的で過激な発言は、一部の顰蹙を買うものの、選挙になれば都民の圧倒的な支持を集める。歴史教科書採択や君が代処分のように強権を発動し、独特の口調で己の主義主張を通す。それに対してほとんどの都民は黙ったままである。国民の保守化傾向は、かつて「草の根保守」と言われたが、今、イシハラは意気揚々とTVで持論をまくし立てていられるほど、支持者が多くいるということなのだ。少しばかりおべっかを使う司会者のもとで。
アメリカにも日本にもロシアにもいたるところで超・新保守主義がはびこる。しかし、必ず利害関係が生じて仲間割れするのが、一国保守主義者の宿命である。
にもかかわらず、表面的にはいよいよ保守が力をつけて、「戦後民主主義」に対する非難と改革を続け、憲法や教育基本法を改悪していこうとする策謀を強めていくに違いない。ことによれば、問答無用の暴力を行使してまで。
これからどのような世の中になるのか。戦後民主主義などという言葉は、もう死語なのか。超えるべき、打倒すべき対象なのか。今一度、皆で、立ち止まって考えてみたい。再びかつての道に踏み出す前に。
反面、ブッシュは、今イラク戦争への大義名分を失い、ほころびが各所に見え始め、全く勢いがなくなった。
一人勝ちのコイズミ・ライン。どうにもならないのかとも思う。1年前の記事を改めて思い返した。いよいよ憲法改悪の路線か、はたまたねばり強く抵抗運動を続けながら活路を見出すか。正念場を迎えた2005年11月だ。1年前の記事を再掲した。
ブッシュの再選は、イラクをますます泥沼化させた。アメリカでは戦時下の選挙は、現職大統領有利だそうだ。国民が戦争の遂行を支持したということが国民の団結にとって重要なことだから。
しかし、今回の選挙は、イラク戦争の是非を巡るというよりも、国内問題における共和党の政策の勝利ではないか。道徳的退廃に対する警戒のもとで、銃規制反対、中絶反対などが象徴するように、これまでのよきアメリカ的伝統に支えられた生活を守りたい、という白人保守層の勝利といえる。州別の勝利数をみても、ブッシュの圧勝であり、共和党が上院下院どちらも多数を占めたことで、ますますそうした傾向を強く感じる。
全体的にこれまで以上にアメリカ国民の意識が保守化してきたのであろう。大国アメリカの孤立がはっきりした、というふうに突っぱねた見方もあるが、むしろ、世界的にどの国でも保守的になってきたのではないだろうか。いわば、欧州の伝統的な民主主義的姿勢に対してNOを突きつけたのであろう。
日本のコイズミは、アメリカ追随という面ばかりではない。あの靖国神社へのこだわりは、たとえ中国と関係が悪化したとしても、たとえ違憲判決がでたとしても全く居直り、「靖国参拝」を貫き通している。実は、背後にコイズミの横暴を支える人々がいるのだ。郵政民営化には反対であっても、これまでにない保守的な姿勢を多くの国民は支持しているのである。つまり、表面的な反動性に目を向けるだけでなく、それを根深く支える人々が広範にいる、ということにも目を向けなければならないだろう。
石原都知事も、天皇の靖国神社参拝要請、拉致被害者救援のために武力行使も辞さず、など、意識的で過激な発言は、一部の顰蹙を買うものの、選挙になれば都民の圧倒的な支持を集める。歴史教科書採択や君が代処分のように強権を発動し、独特の口調で己の主義主張を通す。それに対してほとんどの都民は黙ったままである。国民の保守化傾向は、かつて「草の根保守」と言われたが、今、イシハラは意気揚々とTVで持論をまくし立てていられるほど、支持者が多くいるということなのだ。少しばかりおべっかを使う司会者のもとで。
アメリカにも日本にもロシアにもいたるところで超・新保守主義がはびこる。しかし、必ず利害関係が生じて仲間割れするのが、一国保守主義者の宿命である。
にもかかわらず、表面的にはいよいよ保守が力をつけて、「戦後民主主義」に対する非難と改革を続け、憲法や教育基本法を改悪していこうとする策謀を強めていくに違いない。ことによれば、問答無用の暴力を行使してまで。
これからどのような世の中になるのか。戦後民主主義などという言葉は、もう死語なのか。超えるべき、打倒すべき対象なのか。今一度、皆で、立ち止まって考えてみたい。再びかつての道に踏み出す前に。