おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

美しい国・日本と美しい日本人

2006-10-10 23:22:14 | つぶやき
今年の「流行語大賞」にも選ばれそうな勢いの「美しい日本(人)」。
アベさんの造語に対して、ちょっと違和感を感じます。
むしろ、「あいまいな日本とあいまいな私」という感覚が強い私は、
やはり大江健三郎さんの言葉の方に真実味を感じます。

外交にしても、内政にしても、常に曖昧なままにことを進め、
あいまいなままにことを終わらせる。これまでの日本の政治のあり方。
アベ政権の姿勢はどうでしょうか、これまでとまた同じでしょうか。
それをよしとする「日本」とそれを支えてきた私たちがそこにいます。

ところで、あいまいな日本語によるあいまいな表現は、
実は島崎藤村がそのはしりだと言われています。

人を傷つけず、人に何となく親和感を持たせ、己の主張をあいまいにしつつ、
人に迎合することで、己の主張の一部を貫く手法。
彼の苦渋に満ちた人生の中で、獲得した処世術でした。

きれい事で終始する、それでいて何となく自己主張を貫徹する。
まさに、日本人の得意とする話法でもあったようです。

今の国際社会の中でそれが通用するかどうか。
まして、今回の北朝鮮の核実験。
言語明晰、意味不明では、所詮、侮られること間違いありません。
ただ独自の制裁措置の強化!だけで通用するか。

外交には力不足の感もある首相と、どうもフライング発言が多い外相。
これほどの難局を任せられるでしょうか。
アメリカにもいい顔をし、中国にもいい顔しでは通用しない国際政治。

これまで、アメリカ一辺倒だった日本の外交を
東北アジアに力点を置いた外交へと進路を切ること。
けっしてアメリカ流の、ブッシュ流ともいってもよい、
力と力との対決ではなくて、
あくまでも対話路線を貫いて行くところに
日本の活路が開けてくると思います。

あの藤村が、あいまいな自分から決別し、自らの人生を全うしようとした。
そのきっかけは、一族の深い因習、父のおぞましき血との闘いの後でした。
その苦闘の果てに、日本文学史上に輝く『夜明け前』という名作が生まれました。

このことを思うとき、もしアベさんが日本の政治家として
後世に名をなすとすれば、徹底的に「平和外交」を進めていく。
おやじや爺さんの桎梏を自らうち破っていく。
そこにかかっていると思うのです。

そうでなければ、国民は「美しさ」などという
あいまい表現に秘められた、おぞましい企みを
きっと見抜くことになると思います。
「核武装論」「先制攻撃論」「徴兵制」・・・。
コメント
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