おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

軍人恩給について

2007-09-04 23:18:44 | つぶやき
 職場の元同僚が久々に職場に来ました。1年前に定年退職後、別の職場で嘱託として働いています。前と変わらずお元気そうでした。でも、今年の夏に父親が亡くなって、その葬式やらその後の法事やらで、故郷の名古屋へしばしば。回数券を買うような状態だったとのこと。なにしろ7日ごとの法事ですから。まして新盆ともなれば、親戚やらお寺やらと、けっこう長男としては大変だったようです。
 田舎のことでもあり、いろいろしきたりも多くて、その話しをしながら、ため息をついていました。お父さんは88歳。まあ、そこそこ高齢でもあり、祝いとまではいかないが、じめじめしたところもなく、葬式の前後も気持ちの上では落ち着いていたそうです。
 しばらくして、一人残された母親のために、遺族年金の手続きをしたそうです。そのときにびっくり。「おやじ、こんなにもらっていたのか!」
 お父さんは88歳。戦争に行き、戦後、復員してから、民間会社を勤め上げたとのこと。その「軍人恩給」の額の多いこと、多いこと。お母さんもその半分の額を遺族年金としてもらえるそうです。その金額もけっこうな額。年寄り2人の大変さはあったものの、月々の出費はわずかなもの。けっこう親父さんも、お金には困らなかったはずだ、と。
 たしかに軍事恩給。無理矢理、戦争にかり出され、中には、戦場などで無念の死を迎え、残された遺族も多くいました。やっと日本に戻って来て、それからが子供たちを育てながらの苦労の連続。
 ところで、恩給は何歳から支給されるのでしょうか。やっと子育ても終えて、ささやかな晩年。「お国」のために尽くしたのだから、報われるのは当然。多くもらうのは当然。払うのも当然。やっぱり「遺族会」は、自民党の票田であったはずです。軍人恩給、そしてその遺族年金は、いつまで支払われるのですか。いずれにしても、あと何年すれば、なくなる運命でしょうが。
 その頃になると、一般の「年金」制度はどうなっているのでしょうか。かつての官吏のための恩給は、今は、どうなっているのでしょうか。
 ここ1,2年前に定年退職した年金は、働いていればさっ引かれ、去年の年収が多ければ、さっ引かれ、額面の半分以下。月15万もあればいいほう。これで、まだ子供が一人前でなければ、隠れてバイトをするしかない現状です。
 今の年金は、60代前半を狙い撃ちしています。団塊の世代は、生まれてから死ぬまで、学校から、職場から、子育てから、老後から、墓場まで・・・、いのちがいくつあっても足りない!それなら早く死ねってことかな。
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宿題代行やの話

2007-09-03 18:56:06 | つぶやき
 産経新聞が取り上げて話題になっている、この話。たまたま取材先が内容を暴露して、ヒットした記事になったのか。実は、これは、もう受験業界では周知の話。 金が絡むし、何となく罪悪感(?)めいたものがあって、公にはされてこなかった話。小学生の宿題くらいは、まあ、たわいない話ですむが、もうすでに、大学のAO入試対策用の論文作りを、某大手予備校では、内々にやっている。
 受験先の課題内容に合わせて、論文を作成する。そのかかる時間と字数で、金額が決まる。そして、合格すればもっと謝礼金を・・・。こんなシステムは、もう数年前から都内の予備校(塾)では。これは、その営業担当者から直接聞いた話だから間違いない。卒論までもやっていると。大学生たちが、インターネットでかき集めたデータを、ただただ引用して論文を作成する、などは、まだましな方。
 かつて、小学校の宿題の絵日記。夏休みがあと数日というあたりでまとめ書き。天候がわからず。すると、新聞社が夏休み終了直前に、夏休み中の天気の様子を一覧にして掲載してた、なんて今や牧歌的。
 宿題は、親の手を借りる、親が作文の下書きを書く、友達のノートを写す、大学の講座の代返、なんていうのも、のどかな雰囲気。学校のセンセイだって少しは承知の上であった。
 それが、金さえ出せば、出してもらえば、入試も卒論も何でも代行する時代。人生、何でも金で代行できるなら、金を惜しまない風潮は、世も末か。こんな世の中に誰がした?
 そのうち、入社試験の面接代行、営業代行、結婚代行、出産代行、育児代行、父親・母親代行、しつけ代行、教育代行、介護代行とすべて金、金、金で片付くときが。最後には、死亡代行まで生まれるんじゃないか。あなたの代わりに死にます、私の代わりに死んでよ、お金包むからさ・・・。嗚呼!
 でも、かなり現実的な様相になっているのでは。
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今や都会も同じでは

2007-09-02 11:24:41 | つぶやき
【記者が読む】地方の疲労 “老老”社会、確実に崩壊(産経新聞) - goo ニュース
 お隣さんは、80過ぎたおばあさんが独りで住んでいる。週に1回、娘さんが様子を見に来ている。二人の娘さんは嫁ぎ、孫も皆、成人した。それぞれ、連れ合いの勤務の関係で、それぞれが郊外に家を建て、そろそろその方たちも定年を迎えるという。
 もう、50年以上の近所つきあい。我が家に毎日のように来る、孫の顔をみたさにやってきての四方山話。
 この年で、これからどうなっていくのか。娘たちも、自分たちの老後のことや孫のことで手一杯。週に1度来てくれるのが、精一杯。
 老人ホームにお世話になろうかと役所に尋ねてみると300人待ちだという。お金さえあれば立派なホームにいつでも入れるらしい。お金もない、娘たちにも出してもらうわけにもいかない、・・・。
 300人待ちというのは、300人が順番に死ななければ、入所できないということ。こういう話を聞いて、相づちを打ちながらも、他人事ではないような気がしてくる。
 若い者が都会に出てきて、親の面倒を放棄することや、田舎の親父やお袋にその祖父母を面倒みる(老々介護)を批判するのはたやすいが、もう、皆、行き詰まってしまっているのが、日本の現状ではないか。
 都会も田舎(故郷)もずたずたにされ、一人一人ばらばらにされ、・・・。これが経済的に豊かさを、どこまでもどこまでも求めてきた、なれの果てか。
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防災の日

2007-09-01 20:33:36 | つぶやき
 防災の日。関東大震災の日。3年前、はじめて両国の震災記念堂に行きました。お線香の立ちこめる堂内では、お焼香をする方々が多くいました。そのときの目的は、震災の時に流言飛語によって虐殺された朝鮮人被害者の追悼式に参列することでした。
 今、84年も経って、大地震の恐ろしさや被害の大きさ、備えの大切さを教訓として、大規模な避難訓練を行うのも大切ですが、一方でこうした悲劇があったことを我々は忘れてはならないと思います。
 資料館では「自警団」の様子が描かれた、大きな絵が掲示されてありましたが、そうした朝鮮人被害者のことにはふれてなかったような気がしました(どこかのコーナーに説明があるのに気づかなかったのかもしれませんが)。
 自分たちの生命は、自分たちで守る。自分たちの財産は、自分たちで守る。自分たちの町は、自分たちで守る。老若男女が、手に手に鳶や棒などの武器を構えて、あたりを警戒しているその鋭い目つき。その目には何が映っているのか。自警団の様子を描いた大作の油絵に、いろいろ考えさせられたことが、今も記憶に残っています。
 今日は、ちょっぴり涼しい一日でしたが、3年前の今日は、燃えるような暑い日でした。関東大震災の日は、暑い日だった、と。
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