モミッリャーノ 歴史学を歴史学する
「ギリシャ文明の蛮族性というこの主張は、少なくともわれわれが断片から知りうるわずかな範囲においては、Hekataios の歴史学の結論にあたるものであった。穏やかでない結論である。積み重ねられてきた伝統が自分の思想的要請にとってもはや十分でないという、深刻な悩みが自分の意識の奥底にあることを明かすものである。われわれはまたしても、真の歴史学は、まさにその始原からして、深い精神的必要の存在を明かすものである、ということを思い知らされる。それはこの場合、今や無益で空を切るものでしかなくなった認識世界を振り払い、これに替えてもはや神学的でなく人間学的な認識世界を築く、そういう必要であった。この観点からすると Hekataios の叛乱は、ギリシャ歴史学の歴史にとって決定的な価値を有した。ギリシャの歴史学は、まさに Hekataios が欲したように、もはや神々や半神たちの伝承を集めるものではなく、それらの伝承を批判するか、ポジティヴな局面を言えば、人間および人間にかかわる事柄を探求するものとなったからである。」(p19~20)
このくだりは、木庭先生が「Momigliano の不朽の言葉の一つ」と評する表現を含んでいる。
「自分たちはもともと『蛮族』」という主張は、「無垢なロシア(聖なるロシア)の復活」などという類の発想(宗教?)とは対極にある。
それにしても、「蛮族」が政治システムを打ち立てたところに、ギリシャ人の奇跡があるとつくづく思う。
・・・さて、ロシアに(もちろん日本にも)政治システムが成立するのは、いったいいいつの日になることだろうか?
「ギリシャ文明の蛮族性というこの主張は、少なくともわれわれが断片から知りうるわずかな範囲においては、Hekataios の歴史学の結論にあたるものであった。穏やかでない結論である。積み重ねられてきた伝統が自分の思想的要請にとってもはや十分でないという、深刻な悩みが自分の意識の奥底にあることを明かすものである。われわれはまたしても、真の歴史学は、まさにその始原からして、深い精神的必要の存在を明かすものである、ということを思い知らされる。それはこの場合、今や無益で空を切るものでしかなくなった認識世界を振り払い、これに替えてもはや神学的でなく人間学的な認識世界を築く、そういう必要であった。この観点からすると Hekataios の叛乱は、ギリシャ歴史学の歴史にとって決定的な価値を有した。ギリシャの歴史学は、まさに Hekataios が欲したように、もはや神々や半神たちの伝承を集めるものではなく、それらの伝承を批判するか、ポジティヴな局面を言えば、人間および人間にかかわる事柄を探求するものとなったからである。」(p19~20)
このくだりは、木庭先生が「Momigliano の不朽の言葉の一つ」と評する表現を含んでいる。
「自分たちはもともと『蛮族』」という主張は、「無垢なロシア(聖なるロシア)の復活」などという類の発想(宗教?)とは対極にある。
それにしても、「蛮族」が政治システムを打ち立てたところに、ギリシャ人の奇跡があるとつくづく思う。
・・・さて、ロシアに(もちろん日本にも)政治システムが成立するのは、いったいいいつの日になることだろうか?