「離婚男性の自殺率が異常に高い」なぜ日本の男性は妻から捨てられると死を選んでしまうのか 「離婚と自殺」に強い相関がみられるのは日本の男性だけ
「ここから分かるのは、日本の男性は、欧米の男性と比べて、離婚と自殺の相関が異常に高すぎるということです。日本の男性に対して、よく「家族のために仕事をする大黒柱バイアスがある」として、それを「男らしさの呪縛」などといって非難する論説も見かけます。「男らしさから降りればいい」という人もいますが、「家族のために仕事をする大黒柱」であることを男らしさのひとつととらえるなら、男らしさから降りてしまうことは働かないということでもあり、それは離婚で家族を失うことにもつながりかねません。
つまり「男らしさから降りる」ということは「生きることをやめる」ということと等しいことかもしれず、安易に言うべき言葉ではないでしょう。
家族の大黒柱であることに生きがいを感じ、頑張る姿は別に否定されるものではありません。問題は、「金を稼いで家族を養うことだけが自分の社会的役割である」という歪んだ達成観念に陥ることです。言い換えれば「稼がなければ捨てられる」という強迫観念です。自分では「俺が家族を支えている」と認識しているかもしれませんが、実は「家族によって支えられているのはお父さん自身のほうだった」になっていないでしょうか。」
ややポイントを外した記述のように感じられる。
欧米との違いの理由は、やはり、「イエ」(男性である頂点(家長、戸主)をもつ事業体)をモデルとした集団(典型的にはカイシャ)を単位として社会が構成されてきたかどうか、という点に求められるべきだろう。
ゆえに、「大黒柱バイアス」ではなく、「家長バイアス」と言うべきところだろう。
これを「男らしさ」と言ってしまうと、おそらく間違いになる。
「男らしさ」は、欧米でも当然求められる徳の一つだからである。
ところで、離婚した男性の自殺率については、自営業者や会社経営陣と、通常のサラリーマンとに分けて分析する必要があると思う。
私の推測では、前者より後者の方が自殺率は高いと思う。
なぜなら、前者の場合、離婚してもなお職業生活では「家長」(事業体の頂点)であり得るのに対し、後者は職業生活においても「家長」ではないからである。
「ここから分かるのは、日本の男性は、欧米の男性と比べて、離婚と自殺の相関が異常に高すぎるということです。日本の男性に対して、よく「家族のために仕事をする大黒柱バイアスがある」として、それを「男らしさの呪縛」などといって非難する論説も見かけます。「男らしさから降りればいい」という人もいますが、「家族のために仕事をする大黒柱」であることを男らしさのひとつととらえるなら、男らしさから降りてしまうことは働かないということでもあり、それは離婚で家族を失うことにもつながりかねません。
つまり「男らしさから降りる」ということは「生きることをやめる」ということと等しいことかもしれず、安易に言うべき言葉ではないでしょう。
家族の大黒柱であることに生きがいを感じ、頑張る姿は別に否定されるものではありません。問題は、「金を稼いで家族を養うことだけが自分の社会的役割である」という歪んだ達成観念に陥ることです。言い換えれば「稼がなければ捨てられる」という強迫観念です。自分では「俺が家族を支えている」と認識しているかもしれませんが、実は「家族によって支えられているのはお父さん自身のほうだった」になっていないでしょうか。」
ややポイントを外した記述のように感じられる。
欧米との違いの理由は、やはり、「イエ」(男性である頂点(家長、戸主)をもつ事業体)をモデルとした集団(典型的にはカイシャ)を単位として社会が構成されてきたかどうか、という点に求められるべきだろう。
ゆえに、「大黒柱バイアス」ではなく、「家長バイアス」と言うべきところだろう。
これを「男らしさ」と言ってしまうと、おそらく間違いになる。
「男らしさ」は、欧米でも当然求められる徳の一つだからである。
ところで、離婚した男性の自殺率については、自営業者や会社経営陣と、通常のサラリーマンとに分けて分析する必要があると思う。
私の推測では、前者より後者の方が自殺率は高いと思う。
なぜなら、前者の場合、離婚してもなお職業生活では「家長」(事業体の頂点)であり得るのに対し、後者は職業生活においても「家長」ではないからである。