ニーチェ全集 8 ─悦ばしき知識 フリードリッヒ・ニーチェ 著 , 信太 正三 翻訳
「・・・おお、このギリシア人!彼らは、生きるすべをよくわきまえていた。そのためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまること、仮象を崇めること、形式や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信仰することが、必要だったのだ!このギリシア人は表面的であったーー深さからして!そして、われわれはまさに其の地点へと立ち還るのではないのか、ーーわれわれ精神の命知らず者、われわれ現在の思想の最高かつ再危険の絶頂に攀じ登ってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は?まさにこの点でわれわれはーーギリシア人ではないのか?形式の、音調の、言葉の崇め人ではないのか?まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか?」(p17)
ニーチェの「不朽の言葉」は無数にあるけれど、この本の序文などはその代表例で、何度読んでも味わいがある(ちなみに、私は「悦ばしき知識」が好きすぎて2冊持っている。)。
ここで言う「ギリシア人」は、言うまでもなく、ソクラテス=プラトンより前の、おそらくは、ヘラクレイトスの頃までのギリシア人を指している。
ここでニーチェは、仮象(形式、音調、言葉)の背後に、永遠不変の「真理」なるものを措定する思考を批判しているわけである。
この言葉は、ミレトスのヘカタイオスとはまるで違うもののように見えるけれども、究極的には「人間への回帰」を志向している点で、軌を一にしているように思う。
「・・・おお、このギリシア人!彼らは、生きるすべをよくわきまえていた。そのためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまること、仮象を崇めること、形式や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信仰することが、必要だったのだ!このギリシア人は表面的であったーー深さからして!そして、われわれはまさに其の地点へと立ち還るのではないのか、ーーわれわれ精神の命知らず者、われわれ現在の思想の最高かつ再危険の絶頂に攀じ登ってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は?まさにこの点でわれわれはーーギリシア人ではないのか?形式の、音調の、言葉の崇め人ではないのか?まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか?」(p17)
ニーチェの「不朽の言葉」は無数にあるけれど、この本の序文などはその代表例で、何度読んでも味わいがある(ちなみに、私は「悦ばしき知識」が好きすぎて2冊持っている。)。
ここで言う「ギリシア人」は、言うまでもなく、ソクラテス=プラトンより前の、おそらくは、ヘラクレイトスの頃までのギリシア人を指している。
ここでニーチェは、仮象(形式、音調、言葉)の背後に、永遠不変の「真理」なるものを措定する思考を批判しているわけである。
この言葉は、ミレトスのヘカタイオスとはまるで違うもののように見えるけれども、究極的には「人間への回帰」を志向している点で、軌を一にしているように思う。