NHK出版新書 601 世襲の日本史 「階級社会」はいかに生まれたか [著] 本郷 和人
「『文明としてのイエ社会』では、十一世紀の東国に「イエの原型」(原イエ)の基本形が成立したと述べて、「原イエとは、律令国家の支配体系(ないしその解体的土着型としての荘園・公領体制)から事実上独立したテリトリー(根本私領・名字の地)を中核とする開拓農場としての私領の上に築かれた一種の共同経営体である」(305頁)と定義しています。同時に、僕の恩師である石井進が「舘(たち)を中心とする開拓農場の別名であり、その政治的表現にほかならない(『日本の歴史7 鎌倉幕府』、58頁)と定義した「武士団」と、原イエとはほぼ同義であるとしています。」(p82~83)
「原イエ」(イエの原型)は、「武士団」によって形成された「農業の共同経営体」であるという指摘である。
確かに、こう考えると、「イエ」が軍事化の契機をビルトインしていること、要するに暴力組織の一種であること(カイシャ人類学(11))が理解しやすい。
興味深いのは、「原イエ」の代表例と思われる源氏が、自らの祖神として、「八幡神(八幡大菩薩)」を奉っていた点である。
八幡神―源氏に信仰された武家の守護神
「「武士による武士のための政権」を実現した頼朝は、王権の象徴である天照大神とは異なる八幡神を武家の守護神に据えた。
八幡神は皇祖神である天照とは別の秩序に位置し、源氏の氏神である以上に武神としての性格を有していた。『将門記』によると平将門は天慶2年(939)の末に常陸・下野を攻略し、上野に至り国庁で神託を与えられた。そして、”新皇”を宣言した将門にその地位を保証したのが八幡大菩薩であった。
このように、八幡神には天照大神とは異なる世界を創る上で大きな役割があった。
天照による王朝的秩序からの解放こそが、武家が守護神として八幡神を信仰する理由であった。」
源氏は、「皇祖神」である天照に対抗するものとして、八幡神をいわば「武祖神」として信仰したという指摘である。
面白いのは、源氏の血が流れていない武士であっても、源氏の臣下となって八幡神を信仰すれば、その加護を得られると信じられていた点である。
そのことは、「勧進帳」のラストシーンで、弁慶が天を仰いで「八幡大菩薩」の加護に感謝するくだり、あるいは、元ネタである謡曲「安宅」では、義経が弁慶に「いまの機転さらに凡慮よりなす業にあらず。ただ天の御加護とこそ思へ」と述べるくだり(他力)からも推測することが出来る。
要するに、「武祖神」である八幡神と同一の「イエ」のメンバーとなるためには、その血を受け継いでいることは必須ではないのである。
この点が、おそらく「皇祖神」の場合とは決定的に違っていたのではないかと思われる。
「『文明としてのイエ社会』では、十一世紀の東国に「イエの原型」(原イエ)の基本形が成立したと述べて、「原イエとは、律令国家の支配体系(ないしその解体的土着型としての荘園・公領体制)から事実上独立したテリトリー(根本私領・名字の地)を中核とする開拓農場としての私領の上に築かれた一種の共同経営体である」(305頁)と定義しています。同時に、僕の恩師である石井進が「舘(たち)を中心とする開拓農場の別名であり、その政治的表現にほかならない(『日本の歴史7 鎌倉幕府』、58頁)と定義した「武士団」と、原イエとはほぼ同義であるとしています。」(p82~83)
「原イエ」(イエの原型)は、「武士団」によって形成された「農業の共同経営体」であるという指摘である。
確かに、こう考えると、「イエ」が軍事化の契機をビルトインしていること、要するに暴力組織の一種であること(カイシャ人類学(11))が理解しやすい。
興味深いのは、「原イエ」の代表例と思われる源氏が、自らの祖神として、「八幡神(八幡大菩薩)」を奉っていた点である。
八幡神―源氏に信仰された武家の守護神
「「武士による武士のための政権」を実現した頼朝は、王権の象徴である天照大神とは異なる八幡神を武家の守護神に据えた。
八幡神は皇祖神である天照とは別の秩序に位置し、源氏の氏神である以上に武神としての性格を有していた。『将門記』によると平将門は天慶2年(939)の末に常陸・下野を攻略し、上野に至り国庁で神託を与えられた。そして、”新皇”を宣言した将門にその地位を保証したのが八幡大菩薩であった。
このように、八幡神には天照大神とは異なる世界を創る上で大きな役割があった。
天照による王朝的秩序からの解放こそが、武家が守護神として八幡神を信仰する理由であった。」
源氏は、「皇祖神」である天照に対抗するものとして、八幡神をいわば「武祖神」として信仰したという指摘である。
面白いのは、源氏の血が流れていない武士であっても、源氏の臣下となって八幡神を信仰すれば、その加護を得られると信じられていた点である。
そのことは、「勧進帳」のラストシーンで、弁慶が天を仰いで「八幡大菩薩」の加護に感謝するくだり、あるいは、元ネタである謡曲「安宅」では、義経が弁慶に「いまの機転さらに凡慮よりなす業にあらず。ただ天の御加護とこそ思へ」と述べるくだり(他力)からも推測することが出来る。
要するに、「武祖神」である八幡神と同一の「イエ」のメンバーとなるためには、その血を受け継いでいることは必須ではないのである。
この点が、おそらく「皇祖神」の場合とは決定的に違っていたのではないかと思われる。