パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

回転寿司でも小市民は、、、。

2006年09月19日 21時05分18秒 | Weblog
一度くらいはお金の事を考えずに食べてみたいのが寿司だ
しかもカウンター席に座って、あれこれ握ってもらって
腹いっぱい食べてみたいものだ

ところが現実は、寿司と言えば
回転寿司とかスーパーの総菜屋さんとか、お持ち帰りだったりして、
たまに寿司屋さんへ行っても
値段がはっきりしている握り寿司を頼んで済ましてる程度
それも上寿司ではなくて並を頼んでホッとしている

先日、何かのかげんで寿司が話題になったが
少しばかり安心したのは、自分と同じように
カウンターに座って握ってもらうのは
ドキドキして落ち着かないと言う人のいた事

だが、自分は自慢じゃないけれどもっと小市民だった

回転寿司でもスシローみたいに100円均一なら
安心していられるのだが
そうでないところは(皿の色で価格が違うところ)
数皿食べ終わったところで、皿の色と枚数を数え
いくらかかっているかを計算して
多すぎた場合は安い皿でお腹を膨らませ
多少余裕がある場合はホッとして
食べたいものを頼んでいる

結局、回転寿司でもお金の事が気になって
安心して食べられないのだ

人間のお腹は無限大ではないのだから
いくら食べても、回転寿司ならそんなに
かかりはしないとは思うのだけれど
貧乏性、小市民ぶりはどうも抜け出せそうにない

ところで、寿司のことで強烈に覚えているのは
学生時代の、友人の親戚が寿司屋をやっていて
その人が寿司屋のコンクールで日本で3番になった実力の持主で
友達が自慢げに奢ってくれたときの事

今でも覚えているのは、お米がやたらとおいしかったことだ
ほどほどに固かったし、冷たかったし、酸っぱかったし
とにかく旨かった

今では、それは握りの技術が上手く、
米と米の間に空気がよく入っているのだと
わかったような説明で納得しているが
口の中に今でも残る感触(記憶)は
確かに世の中には、
もの凄く美味い寿司があるものだというものだ

美味いけど、値段が気になって安心して食べられない寿司
いつか、安心して食べられるようになるのだろうか
(いい歳して情けない?)


コメント
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