パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

集中力と忍耐

2007年12月11日 21時09分03秒 | Weblog
「ペレを買った男」
アメリカで一時期サッカーブームを起こした人物のドキュメンタリーで
その成功と失敗をまとめたものらしいが
その宣伝放送で、あるアメリカ人が
「結局アメリカ人にサッカーが受け入れられなかったのは
 アメリカ人は集中力がないからだ。
 ビールを飲んだりポップコーンを食べてのんびりと観戦するのが
  アメリカ人にはあっている」
と、インタビューに答えているシーンがあった。

なるほどと納得する一面、
それは日本でも同じじゃないのかな!などと思い直した
それも最近とみにその傾向は強くなっているのではないだろうか?

まず書店に並ぶベストセラーは新書の短い類いのものだったり
マニュアル本だったり、ハウツウものだったり、タレント本だったりで
つまり集中して本と対決するなんて事は
さらさらない傾向の本だ

同様にテレビでも視聴率をとっているように思われるものは
バラエティー、クイズの類い
これもまた集中を要しない類いのものだ
(もっともテレビ自体そんなに真剣に見る媒体ではないかもしれないが)

そして残念な事に、生き方もこれに似たようになっているような
気がしてならない

肉体を維持するために生活の最低限の
経済的なベースが必要なのはわかる
しかし、今はそれだけが(経済的に上手くいく事だけが)
大手を振ってまかり通っている

「自分という存在は何のために存在しているのか」
とか、カミュの言うように
「この世は自殺しないでいる価値があるのか」
こうした考えてもどうにもならない問題を
それでも青春の一時期、その人なりに突き詰めて
「その人になる」なんて事は、最近の人たちにはなさそうだ

集中と忍耐
そんな面倒な事よりすぐに結果が欲しい
要領よく快適な生活が欲しい
それが今の世相だ

話は大きくずれるけれど、クラシックの音楽会
それを疎ましく思う人たちの理由の一つに
「シーンとして息詰る緊張感が
皆で乗って騒いで楽しめるロックとは違い、いやだ」
というのがあるが、
試しに息を凝らして集中して一音も逃さないつもりで
聞き取った時に感じる満足感は
ロックのときとは違った満足感であるのに
何故か始めっからそれをトライしようとしない
つまり集中ができなかったり面倒くさかったりする

長い小説は短くできないから長くなったのに
短く要約して、それどころか
その小説を解説した本を読んで
本体を読んだ気にさせる
この国のおせっかいな親切

実際は、時間と集中と忍耐以外に手はない
豊かな世界がある事も
多くの人に実感として感じてもらいたいものだ


コメント
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