パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

モーツァルトとフォーレのレクイエム

2010年06月13日 19時13分15秒 | 音楽
「合唱のベルリンフィル」とは、よく言ったものだ
「上手い!」
とはプロに向かって失礼かもしれないが
第一印象はこの一言につきる

昨日、愛知県芸術劇場コンサートホールで行われた
スウェーデン放送合唱団 二大レクイエムの夕べでの感想

最初がモーツァルトのレクイエム
オーケストラは名古屋交響楽団

モーツァルトのレクイエムは「熱狂の日音楽祭」以来の2回目
あの時は、モーツァルトが完成した自筆部分だけを最初に演奏
ついでジェスマイヤーが補筆して完成させたものを聴いたのだが
モーツァルトだけで作った部分が雑味がなくて凄くよかったのを覚えている

それで今度もそんな気持ちで聴いていると
絶筆となった涙の日を越えたところから
ジェスマイヤーは頑張っているけれど
どこかひらめきに欠けるというか平凡というか
やはりモーツァルトをまねる事はできないという現実に行き着いた

しかし、途中からいきなり生命力にあふれたパッセージが現れたりしたが
あれはモーツァルトが書き残した部分があったのだろうか

演奏時代は 熱狂の日の演奏に比べ非常にロマン的だった気がする
団員の数も今回の方が多いし いい意味で演奏効果も狙って、、

しかし、今回のお楽しみはフォーレの方
このフォーレもやはり熱狂の日で聴いたのだけれど
これは本当によかった
いつまでも終わらないでほしいと思ったし
知らないうちに涙がにじんでいた

だから今回も静かな感動を期待した
冒頭、ピアノで始まる合唱部分 本当に静謐、
キリエの後の楽曲もやはり絶妙のハーモニー
フォーレの魔術がまざまざと、、

この合唱団、当たり前と言えば当たり前かもしれないが
ピアノの音が非常にきれい
そしてフォルテも決して濁らない
北欧の家具、製品の質がそのまま音楽に現れているような感じがした
(と言っても北欧製品を数多く知っているわけではないが)

この水準になるまでどれだけ練習をしたのだろう
一旦レベルを上げてしまうと後に続くものは
レベルを下げない責任がある
これがよい伝統となってこう評価を維持しているに違いない

それにしてもあれだけ事前に注意、お願いをしたにもかかわらず
演奏途中に携帯電話の呼び出し音が鳴ったのは
非常に腹が立ったし、集中が切れて興ざめしてしまった

自分だけは鳴らない
そんな自分勝手な思い込みは止めてほしい


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「チームプレー」の言葉で安易に片付けられていないか?

2010年06月13日 05時39分54秒 | サッカー
多分誰の目にも明かな様に、
韓国のサッカーは日本よりも数段強い
そして楽しい、何よりもたくましい

なんでここまで差がついてしまったのか
(少し前までは追いついていたのに)
寂しい限りだ
韓国は確かにワールドカップで闘う資格がある
(果たして日本は?)

サッカーに於けるお国柄を考えると
日本は(自分の国の事ながら)プレースタイルを全然イメージできない

韓国はシンプレだけれどダイナミックに前に前にボールを運び
積極的にシュート
場合によっては体力の続く限り走り抜く
そして粘り強い精神力

ところが日本は?
時代の流行の戦術を取り入れている(?)だけで
物まねのレベルを超えられず
何かいつもころころ変わる
本当に日本らしさ!ってなんだろうと考えてしまう

「サッカーはチームプレー」
この誰も否定できない言葉が
日本のサッカーをひ弱にしていないか

ヨーロッパの国も南米もみんなそう口にする
しかしそれは徹底的な個人主義があってのこと
日本人がその言葉を口にすると
「自己犠牲」とか「個の責任回避」みたいに感じてしまうのは何故だろう

サッカーは部分部分は1対1の闘いだ
男と男の意地をかけた闘いだ
誰も勝負に負けたくない
この根本的なところがどうも日本は希薄な気がしてならない

日本のサッカーはスポーツ選手
強いとされる国はスポーツ選手以前に戦士
(だからこそスポーツマン精神が要求される)

結局、個が抜きん出る世界を嫌うような
日本に蔓延している世界観が
日本の個の確立を妨げ、一人一人が
日本国内でしか通用しないような選手にしているのではないのか

だから!(菅首相ではないが)
特に少年時代、育成時代にはもっと個人で仕掛けられるような
一人で守りきるような
つまり闘える人材を作る様にしなければならないのではないか

ルーニーはチームの為にボールを追いかけ守備に走る
というより
自分のボールを取られたら、悔しくて頭に来て奪い返す!
そんな単純なところではないのか

そんなサッカー小僧のところが自分は大好きだが

日本は言われてボールを、人を追い回す
チームの為に、犠牲になって!
言葉はきれいでも何か違ってやしないだろうか?
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