「合唱のベルリンフィル」とは、よく言ったものだ
「上手い!」
とはプロに向かって失礼かもしれないが
第一印象はこの一言につきる
昨日、愛知県芸術劇場コンサートホールで行われた
スウェーデン放送合唱団 二大レクイエムの夕べでの感想
最初がモーツァルトのレクイエム
オーケストラは名古屋交響楽団
モーツァルトのレクイエムは「熱狂の日音楽祭」以来の2回目
あの時は、モーツァルトが完成した自筆部分だけを最初に演奏
ついでジェスマイヤーが補筆して完成させたものを聴いたのだが
モーツァルトだけで作った部分が雑味がなくて凄くよかったのを覚えている
それで今度もそんな気持ちで聴いていると
絶筆となった涙の日を越えたところから
ジェスマイヤーは頑張っているけれど
どこかひらめきに欠けるというか平凡というか
やはりモーツァルトをまねる事はできないという現実に行き着いた
しかし、途中からいきなり生命力にあふれたパッセージが現れたりしたが
あれはモーツァルトが書き残した部分があったのだろうか
演奏時代は 熱狂の日の演奏に比べ非常にロマン的だった気がする
団員の数も今回の方が多いし いい意味で演奏効果も狙って、、
しかし、今回のお楽しみはフォーレの方
このフォーレもやはり熱狂の日で聴いたのだけれど
これは本当によかった
いつまでも終わらないでほしいと思ったし
知らないうちに涙がにじんでいた
だから今回も静かな感動を期待した
冒頭、ピアノで始まる合唱部分 本当に静謐、
キリエの後の楽曲もやはり絶妙のハーモニー
フォーレの魔術がまざまざと、、
この合唱団、当たり前と言えば当たり前かもしれないが
ピアノの音が非常にきれい
そしてフォルテも決して濁らない
北欧の家具、製品の質がそのまま音楽に現れているような感じがした
(と言っても北欧製品を数多く知っているわけではないが)
この水準になるまでどれだけ練習をしたのだろう
一旦レベルを上げてしまうと後に続くものは
レベルを下げない責任がある
これがよい伝統となってこう評価を維持しているに違いない
それにしてもあれだけ事前に注意、お願いをしたにもかかわらず
演奏途中に携帯電話の呼び出し音が鳴ったのは
非常に腹が立ったし、集中が切れて興ざめしてしまった
自分だけは鳴らない
そんな自分勝手な思い込みは止めてほしい
「上手い!」
とはプロに向かって失礼かもしれないが
第一印象はこの一言につきる
昨日、愛知県芸術劇場コンサートホールで行われた
スウェーデン放送合唱団 二大レクイエムの夕べでの感想
最初がモーツァルトのレクイエム
オーケストラは名古屋交響楽団
モーツァルトのレクイエムは「熱狂の日音楽祭」以来の2回目
あの時は、モーツァルトが完成した自筆部分だけを最初に演奏
ついでジェスマイヤーが補筆して完成させたものを聴いたのだが
モーツァルトだけで作った部分が雑味がなくて凄くよかったのを覚えている
それで今度もそんな気持ちで聴いていると
絶筆となった涙の日を越えたところから
ジェスマイヤーは頑張っているけれど
どこかひらめきに欠けるというか平凡というか
やはりモーツァルトをまねる事はできないという現実に行き着いた
しかし、途中からいきなり生命力にあふれたパッセージが現れたりしたが
あれはモーツァルトが書き残した部分があったのだろうか
演奏時代は 熱狂の日の演奏に比べ非常にロマン的だった気がする
団員の数も今回の方が多いし いい意味で演奏効果も狙って、、
しかし、今回のお楽しみはフォーレの方
このフォーレもやはり熱狂の日で聴いたのだけれど
これは本当によかった
いつまでも終わらないでほしいと思ったし
知らないうちに涙がにじんでいた
だから今回も静かな感動を期待した
冒頭、ピアノで始まる合唱部分 本当に静謐、
キリエの後の楽曲もやはり絶妙のハーモニー
フォーレの魔術がまざまざと、、
この合唱団、当たり前と言えば当たり前かもしれないが
ピアノの音が非常にきれい
そしてフォルテも決して濁らない
北欧の家具、製品の質がそのまま音楽に現れているような感じがした
(と言っても北欧製品を数多く知っているわけではないが)
この水準になるまでどれだけ練習をしたのだろう
一旦レベルを上げてしまうと後に続くものは
レベルを下げない責任がある
これがよい伝統となってこう評価を維持しているに違いない
それにしてもあれだけ事前に注意、お願いをしたにもかかわらず
演奏途中に携帯電話の呼び出し音が鳴ったのは
非常に腹が立ったし、集中が切れて興ざめしてしまった
自分だけは鳴らない
そんな自分勝手な思い込みは止めてほしい