パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

右近の橘、左近の、、、

2011年05月05日 09時39分39秒 | Weblog

「左近は桜」だと思っていた

ところが昨日、大覚寺で見かけたのは「左近の梅」

もちろん右近は

お雛さんの花は、桜だったか梅だったか、いやそれとも桃だったか

男は駄目だな、花に全然関心がいかない

(もとい!自分は花に興味がなかった)

 

京都は深い

いつもなにがしらのの発見がある

今回は清涼寺と大覚寺、いわゆる嵐山近辺の探索

 

ゴールデンウィークの昨日

人出はまずまず、でも外国人の旅行者はいつもより少ない感じ

(バイタリティーに溢れた中国の方も見かけなかったような気がする)

 

さて京都のお寺さん

単に渋いだけじゃなく、門跡と言われるものはどことなく品がある

何故そんな風に感じるのかわからないが、垢抜けした感じが漂う

そうした中でいつも羨ましくも美しく感じるのは回廊(廊下?)

いずれも大覚寺

雨の時は濡れて大変だろうな、と思いつつも

こんな美しいところで日常の生活が出来る方々を嫉妬してしまいそう

 

禅宗の神秘的な静寂、侘び寂びだけでない

上質な趣味の良さが門跡の寺院には見られる(気がする)

京都の人々はこうしたものを普段から目にするので

良い趣味、鑑識眼を身につけるのだろうか

 

こうしたお寺さんを見るといつも思うのは

どうやってこの建物を造りあげたのか、という点

機械もコンピュータもない時代、しかも材料も限られている

ただただ凄いな!と思うだけ

清涼寺の本堂の廊下(?)をの板 厚くてこれだけの木(板)を集めるのも大変だったろうに

屋根だって板を重ねて造っている

職人の腕、技術、そして根気のいる仕事

昔は文化的に低かったとは安易に言えない

 

ところで京都のお寺さんは、山よりの自然豊かなところにあるので

なんというのか知らないが蝶がのんびりと舞っていた

今回はお金を使う理由があったので(日本経済のため?)

いつもより少しばかり贅沢は昼ごはんをいただいたが

そのくらいのことしかできないのが情けない(悪いな!と思いつつ)

 

ところで京都、やっぱりすごいな

何十回と行っているけれど益々はまっていく自分がいる

次に行くのは夏か、それとも紅葉の時期か

 

 

 

コメント
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