パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ジャズは最適のBGMか?

2012年05月07日 21時24分18秒 | Weblog

聖歌は単旋律にすべし
そうもしないと、響き自体に心奪われて
教義が伝わらなくなる恐れがある
と決めつけた人がいたが
その良し悪しは別として、わからない話ではない

確かに豊かなハーモニー・生き生きとしたリズムは
ボーカル部分がなくても充分に楽しむことができる

この心奪われる音楽
その音楽は家具のように、または環境音のように扱われ
巷ではBGMとしてオフィス・家庭で有線という形で
流されている

最近のヒット曲や流行の歌は
その時代の雰囲気を感じられてそれはそれで
いいと思うのだけれど
何か音がないと寂しいとなどと、
おまけのように扱われる音楽は
なまじっか自分の知らない曲のほうがいいことが多い

先日オフィスでクラシック音楽が流れていた
軽やかに流れるモーツァルト
聞き流してもいいけれど、ちょっと真面目に聴こうとすると
その演奏の善し悪し・ニュアンスが気になって
とても聴き流すことなどできなくなってしまった

またベートーヴェンの7番のシンフォニーが流れていた時などは
人と話していても、その音楽の雄弁さというか話しかけてくる
圧倒的な力に負けてとても会話に集中できなかった

ということで、BGMには一見ムーディーなジャズがいいかな
と思ってみたが、考えてみればジャズは演奏自体が勝負の音楽
感情表現・ニュアンスそうしたものが実はクラシック音楽よりも
雄弁に語りかけてくるのかもしれない
そのように聞こえないのは単に耳がまだその音楽に慣れていないだけのこと
慣れてしまえば音楽は音楽の用語の中で
雄弁に人の心の中に語りかける

確かにマイルスやモンク・キース・ジャレット等の音楽は
聴き流すよりきっちり聴いたほうが満足感は大きい

つまり聴き流すことの出来る音楽は
自分に関心のない分野の曲、耳ができていない方面の曲ということになる

慣れない耳には、バッハは人間の命のリズムを刻んで
まさに音楽の父にふさわしい音楽
といったような評価かも知れないが少し聴きこんだ耳には
バッハは理屈っぽすぎる、精緻過ぎる、リズムが機械的過ぎる
となりモーツァルトは感情表現のニュアンスがコロコロ変わりすぎて
ついていけないし
ベートヴェンは精神をどこか緊張させる
といった風に感じることもある

何にでも言えそうなことだけれど
知らないということは、一見(一聴)しただけで得る情報量が少ない
それがために心までメッセージが伝わらず
表面的な処理で終えることができる
それが音楽の場合には快適と感じるのかもしれない

しかし、聞き流して心地よくなるのもありだけど
聴きこんで会話・意味・内容を吟味できるようになるのは
もっと楽しいことのように思えるのだが、、

知っている曲でも心を惹きつけない
聴き流すことのできる演奏というものもあるが
と言うことは、曲自体より問題は演奏なのだろうか
ま、どっちでもいいことかもしれないが、、

 

コメント
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