今の日本の社会に足りないのは
正当な(ある意味いい加減な)感情の発露ではないのか
不意にそんな考えが浮かんだ
切れやすい若者が多いというのは
実はその前に適切な感情表現がなされてないからではないのか?
特に男の社会
それはある時期を超えて子どもでも
簡単に感情を現すことは控えるように
教育(?)されてしまっている
控えめが日本の文化なのかもしれない
韓国や北朝鮮の非常に大げさな涙や怒りは
今の感覚からすると違和感を感じざるを得ないが
昔から日本人は控えめだったか
ということになるとチョット疑問かもしれない
西行の歌にも、男なのに涙が出てくる
それも何の抵抗感もなく涙の言葉が使われている
とすると、あの時代は少なくとも感情表現を表に出すことは
はしたないことではなかったのか
涙は女の武器だとも言われるが
それは男に対してのそれだけでなく
自分自身の精神コントロールを図るのに
有効なツールと言うこともあるかもしれない
ひとしきり泣いて
あーすっきりした!
と日常の生活に立ち戻っていけるのが女性
しかし、男はどうなんだろう
感情絡みで考えられそうなことといえば
飲みニケーション、酒の席でウダウダと愚痴を言うくらい
しかし、まだ愚痴が出るうちはいいかもしれない
最近では飲みニケーションも少なくなっているという
ならば、どうやってささやかな感情の発露が行われるのか
上手な教育というのは
適度な感情の発露の仕方を教えることではないのか
その手段としての芸術活動
絵画・音楽・文芸 あるいはスポーツの分野もそうなのかもしれない
これらの分野は確かに忍耐・我慢が必要な世界ではあるけれど
ある時期までは無邪気に感情を現すことも必要
この経験を経ずにひたすら忍耐・我慢を要求されると
彼らは伸びやかな感性を育てることはできないのではないか
感情に沿って生きる
ジョブズもそれを勧めていた
論語でも最後の方は自分の思うように動いて
則を越えないようになった
ともある
おそらく人が一番楽に生きられるのは
自分の感情に正直になること
それが社会と一致すれば一番問題はないのだが
日本ではその弊害を過大評価・危険視して
感情表現を慎むようになってはいないか?
もう少し、いろんな面で大らかで
人に対しても自分に対しても
向かうことができたらいいのに、、、