休みの日は時間がどのように使っても
自分の自由になるから疲れがとれるし
それなりの充実感もある
だからと言って毎日が日曜日であったなら
つまり、全部の時間が自分の思い通りに行くとしたら
それはそれで結構辛いものがあるかもしれない
仕事だから我慢できる忍耐強い作業もある
となると仕事はある意味で人の精神の成長を
手助けする効果があるかもしれない
制限された時間、決められた規則
そこで飛躍して思いついたのが
俳句のこと
俳句は575の文字数だけでなく
季語の挿入が義務付けられている
たった17文字、しかも季節を表す言葉を入れなければならない
思えばなんと不自由なことか
安易に考えればどんなに頑張っても
行き着くところまでいってしまわないか
やり尽くしてしまうことなんてないだろうか?
と考えてしまう
だから何もかも規則を取っ払って
自由な短詩にしてしまったらどうか
と考えても何ら不思議ではない
しかし、この様に何でもありにすると
どういう訳かそちらのほうが行き詰まってしまわないか?
音楽でもフリーの演奏、即興は最初は大海原に
船出するような感じかも知れないが
自由と思っても実は自分の想念に囚われて
案外そこから抜け出せなくなって
却ってパターン化する可能性もありそうだ
ならば規則に縛られた作曲、変奏、展開の方が
その中での工夫が知恵を絞りきっているだけに
面白いものにならないか?
水墨画のなかに色彩を感じ押させる技術は
どんな色を使ってもいいと言う世界よりは
想像力を刺激して面白い
休みの時間は
休みでない多くの時間があるからこそ充実感を
感じることができる
といったような説教臭い話ではなく
実際に人間にとっては完全なる自由は
案外不自由だということ
カラマーゾフの大審問官はすばらしい洞察力で
人間のそんな部分を指摘している
ということで自由と制限、規則
あるいは拡大解釈してハンディキャップ
それは更なる変化(進歩とは言わない)に役立つだろう
原発はもう懲り懲り
代替えの発電として原子力を使わないという制限は
時間も含めて、より変化の機会のチャンスと思うのだが
なかなか現実家はそうは考えられないらしい
少しくらい困っても以前の姿には戻りたくない
それが進んだ考え方かもしれないのに
なかなかそれを認めたくない人たちがいるものだ
彼らも多くの規制・制限こそがさらなる飛躍のチャンスと
考えてもらえればいいのだが。。。