パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

判断は、客観的に下したとしても、それは元々の自分の意思の反映か!

2012年07月13日 21時01分32秒 | Weblog

政党名が「国民の生活が第一」なんて、
長いな~とか、どうやって縮めるのか?
とかは、さておいて、世論調査によれば
あまり期待しないらしい小沢新党

消費税アップ反対、その前にやることがある
反原発、公務員改革は、、、
なるほど言葉の上では(あの風貌を見ないなら)
納得できそうな提案が続く

しかし、問題は、それを言っているのが
小沢さんという人格の人ということ
(女性の中には小沢さんは何となく嫌い
と言う人も少なくないようだ?)

この何となく嫌いというイメージを作っているのが
大手マスコミとか官僚とかのせいという
専門家的な意見もあるが
人の顔は、ある年齢を超えたら自分に責任がある
との昔からの言葉も馬鹿にしてはならない

人間の判断については、最近読んでいる本が興味深かった
「感性の限界」高橋昌一郎氏の著作で
「理性の限界」「知性の限界」に続く第3弾で
その中に人間の判断のいい加減さ、バイアスがかかっていたり
刷り込みがなされていたり
つまり、全くの公平な客観というものは存在し得ない
ようなことが述べられていたが(自分の解釈の範囲のことだけれど)
全くその通りで、マスコミが公平な立場でうんぬんは
実はありえない!ということに通じてしまう

公平にみえても何らかのバイアスや刷り込みは入っているはず
小沢さんに関する印象にしても
メデイアからのものだけでなく、人々が感じ取る何かは
判断する人の人の生きてきた歴史を反映するもので
結局は個々によっておおいに違う

つまり同じ物を見ても違う判断をするということ
そしてこの判断の基準となるものは
実は客観といった外部からの刺激によるものではなく
刺激を感じる、その感じ方さえ、そのひとの何かを
反映しているのかもしれない

いや、仏教の言うように色即是空・空即是色であって
感じるものすら空であって、、、(ここのところは実はよくわからない)
またショーペンハウエルの言うように世界は既に意志の表象である
(実はこれもよくわからないが、何となく言わんとする事は分かるような、、、)

残念ながらここでの話は今の自分の理解を超えている
しかし、感情がノーと言うものを理性が受けいれるのは難しく
いくらいいことを言っても、いう人がダメなら
結局聞く耳を持つことができないということ

あの長島さんの支離滅裂な話でも
内容はともかく聞く気になる人が多いのは
冒頭の話とは全くの逆の話で
やっぱり、人間性が大事!ということなのかな

と同時に、言葉で残された、感情を反映しない
歴史文書などは、実はかなり怪しい!
ということにもなりそうだが
今日は、とりあえずこんなところで!

コメント
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