100円ショップにはおよそその価格では考えられないような商品が並ぶ
それらの商品群を眺めて心ワクワクする人もいれば
安いから少しのハズレも気にしないで積極的に購入にいたる人もいる
そして助かるな、この安さ
と感謝したりする
しかし、少し冷静になってみると
何故この価格で販売できるのか
と言う疑問がわいてくる
そこで思いつくのが人件費の安いところ
物価の安いところで造っているから
と納得したりする
しかし、その一方でこれほどの安さが実現できているのは
どこかに負担や犠牲が存在しているからではないか
と思ったりする
実際のところ経済の専門家ではないので
人件費、物価が安いので安くできるのだ
と説明されてもどこか納得できない部分が残る
本当にそれが人として公平なのだろうかと
誰かが犠牲になっているのではないか
という漠然とした思いはもしかしたら本当なのかもしれない
最近ではフェアトレードという言葉が注目されてきている
発展途上国と先進国の不公平な貿易を見直そう
と言う動きだ
話は飛んで最近、「超訳 資本論」を再読し始めた
情けない事に最初読んだ時には面白かった
とは思ったものの理解できていなかった
だが今回、読むとまでは行かないが眺めているうちに
なるほどうなずく点、いやこういうとらえ方もあるのか
と参考になる部分が多かった
商品の価格について
使用価値と交換価値が存在し
その価値がイコールとなるのは
商品は人間の労働が加わった労働生産物であって
商品が等価というのはその生産に費やされた労働量が等しい
ということ
そこから労働の精緻な定義付けなどが資本論では語られる訳だが
(そして労働力の搾取につながって行く?)
何となくだが最初の話題に戻って100円ショップに感じる違和感が
少し理解できた様な気がした
誰かの犠牲の上に成り立っている格安の商品
需要と供給だけでは片付けられない価格の問題
つまりどこかで搾取されたうえでの現在の経済の成り立ち
しかし、今の日本にいて100円ショップの恩恵を受けている
自分がいるのも間違いの無い事実
そしてそんな自分に少しいやな気分を持つのも事実
経済の発展だけが幸せではない
と3.11の後、人々は感じたはずなのに
政府や経済界はその出発点をもうすっかり放棄している
いったいどこに進もうとしているのか
世の中は行き延びるという強い遺伝子をもった
生物、人間にのみチャンスは与えられるのか
平凡な日々を過ごすだけの人々は
その平穏な生き方への価値すらも無意味なものとして
結論づけられるのか
強い人間より、どこにでもいるような人の
ささやかな優しさの方が真実と思うのは
自分が怠け者のせいか
モーツァルトの魔笛のパパゲーノ
彼の方が一見真面目なパミーノやザラストロよりも人間の本質をついている
そしてモーツァルトも彼に愛情をいっぱい注いでいる
と思うのは錯覚だろうか
それらの商品群を眺めて心ワクワクする人もいれば
安いから少しのハズレも気にしないで積極的に購入にいたる人もいる
そして助かるな、この安さ
と感謝したりする
しかし、少し冷静になってみると
何故この価格で販売できるのか
と言う疑問がわいてくる
そこで思いつくのが人件費の安いところ
物価の安いところで造っているから
と納得したりする
しかし、その一方でこれほどの安さが実現できているのは
どこかに負担や犠牲が存在しているからではないか
と思ったりする
実際のところ経済の専門家ではないので
人件費、物価が安いので安くできるのだ
と説明されてもどこか納得できない部分が残る
本当にそれが人として公平なのだろうかと
誰かが犠牲になっているのではないか
という漠然とした思いはもしかしたら本当なのかもしれない
最近ではフェアトレードという言葉が注目されてきている
発展途上国と先進国の不公平な貿易を見直そう
と言う動きだ
話は飛んで最近、「超訳 資本論」を再読し始めた
情けない事に最初読んだ時には面白かった
とは思ったものの理解できていなかった
だが今回、読むとまでは行かないが眺めているうちに
なるほどうなずく点、いやこういうとらえ方もあるのか
と参考になる部分が多かった
商品の価格について
使用価値と交換価値が存在し
その価値がイコールとなるのは
商品は人間の労働が加わった労働生産物であって
商品が等価というのはその生産に費やされた労働量が等しい
ということ
そこから労働の精緻な定義付けなどが資本論では語られる訳だが
(そして労働力の搾取につながって行く?)
何となくだが最初の話題に戻って100円ショップに感じる違和感が
少し理解できた様な気がした
誰かの犠牲の上に成り立っている格安の商品
需要と供給だけでは片付けられない価格の問題
つまりどこかで搾取されたうえでの現在の経済の成り立ち
しかし、今の日本にいて100円ショップの恩恵を受けている
自分がいるのも間違いの無い事実
そしてそんな自分に少しいやな気分を持つのも事実
経済の発展だけが幸せではない
と3.11の後、人々は感じたはずなのに
政府や経済界はその出発点をもうすっかり放棄している
いったいどこに進もうとしているのか
世の中は行き延びるという強い遺伝子をもった
生物、人間にのみチャンスは与えられるのか
平凡な日々を過ごすだけの人々は
その平穏な生き方への価値すらも無意味なものとして
結論づけられるのか
強い人間より、どこにでもいるような人の
ささやかな優しさの方が真実と思うのは
自分が怠け者のせいか
モーツァルトの魔笛のパパゲーノ
彼の方が一見真面目なパミーノやザラストロよりも人間の本質をついている
そしてモーツァルトも彼に愛情をいっぱい注いでいる
と思うのは錯覚だろうか