パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

大逆転負けに思う

2014年07月28日 15時21分31秒 | あれこれ考えること
石川県の星稜高校が小松大谷高校から9回に
0-8から9点を奪って逆転で甲子園行きを決めたと
ニュースで報じられていた

諦めないことが大事
まるでドラマのような展開に勝った方のチームに
メディアは早速飛びつく

しかし、勝負事は相手がないと成立しない
自分はフト逆転負けを食らった小松大谷高校のことを少し考えた

9回で8点差
普通ならこれで終わるはず
最悪何点か取られても逆転までは遠い
これで勝利は自分らの手にあるはず
こんな風に思うのは思い上がりでもなんでもない
普通の発想
しかし時に普通の発想を超えた事件が起きる
あれよあれよと言う流れ
小松大谷高校の選手、監督はあの時どんな気分だったのだろう

今にして思えば
と振り返ることができるかもしれない
そして今から同じ状況で9回から再開したら
多分あんなことは起きないと思う

つまりあれはどうしようもない運命のようなもの
しかし負けるには理由があると言われる
反省すべき理由はなにか?

その試合を見ていないのでなんとも言えないが
(野球全般を見ないが)
サッカーでも難しいのは流れを切ること、変えること
あの時点で一体あのチームに何が起こっていたか

実力不足
結果からすればその一言
しかし、それだけで済ますにはこの教訓は痛すぎる

あの時間の中、選手、監督の頭の中で起こっていた事件は
おそらく一生ついてまわる

この大逆転劇のニュースは忘れられても
逆転負けを食らった方は一生忘れられない

問題はこれが人にとって不幸か
というと必ずしもそうではないかもしれない
ということ
これだけ派手な結果を体験する人は多分何をやっても
派手な山あり谷ありの人生を送るタイプ
その時に役立ちそうなのはこの時の経験

パニックになると良い結果を導くことができない
そのことをいやというほど経験したものは
世の中にはどんなことでも起こりうる
という貴重な経験と、その対処法、心構えができるようになると思うのだが
果たして、、、
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老化

2014年07月28日 10時11分26秒 | 徒然なるままに
社会との関係が希薄になりつつあって
少しばかりボケのスピードが早まるのではないか
と心配の最近

自分との付き合いは長いので一向に進歩しない自分が
生物学上ではそれなりの年齢で存在している事実に驚く

しかし、間違いなく老化は進んでいる
まず第一に目が駄目になった
老眼
小さな文字が読めない
CDのライナーノーツなど字が小さすぎて全然読む気にならない
新聞のクロスワードクイズもヒントの字が小さすぎて読めないし
最近まじめに取り組もうとしているドイツ語も辞書の字が読めない

その次は歯がダメになってきている
最近冷たいものhがしみるようになって歯医者に出かけると
歯槽膿漏
虫歯も少しはあるようだが冷たいものがしみるのは歯槽膿漏が原因
もっとも歯槽膿漏は加齢が原因ではなく
単に不精だったせいもしれないがやはり年月をかけて不精だった意味では
加齢が原因

次は食欲
よく言われるように脂っこいものが食べられなくなった
そもそもまずそういったものを食べたいという気が起きない
そして食べる量も減っている
以前、ラーメンとチャーハン、唐揚げがついたランチを平らげていたことが
まるで嘘のように思える

お酒もてっきり弱くなった
以前から強い方ではなかったが最近は35mlの缶ビールですら
全部を飲むと暫くのあいだ心臓がバクバクする
お酒は?
の問に、養命酒です
と答えて笑いを取っているが正直実際そんなところだ

それから睡眠
朝まで爆睡なんてことは最近記憶に無い
ほとんど夜中に1回目を覚ます
何かをするのではなく、別にトイレに行きたいわけでもない
しかし手持ちぶたさなので目覚めたついでにトイレに行くのが習慣化している

それから記憶力
これは確かに怪しい 
本を読んでいても途中一旦間を空けるようなことがあると
再開してもさてどんな内容だったかが怪しい
これはミステリーを読むには最悪
特に外国ものは名前が同じ人物でもいろんな呼び方で記されるので
誰が誰だったか混乱してしまう
だからといって元に戻るのはいまいましいので
そのまま読み続けるが、そのせいで最後のページまでいったとしても
果たしてて読み終わったといえるのか

感受性 驚き
これらも明らかに鈍くなっている
妙な知恵がついたせいで新しく体験するような事柄も
知らず知らず過去の経験に照らしあわせて
その中で理解しようとしたりする
これはこのパターンだろうとか、、、

それだけではない、やはり瞬発力にかける
一番のショックだったのは昨年のドイツ旅行のミュンヘンで
ノイエ・ピナコテークでゴッホのひまわりを見た時のこと
20代の自分はこの絵に衝撃を受けた
画面の中の花、茎が四方八方ににょきにょきと伸びるような生命力
迫力を感じて凄いというよりなにか気持ちが悪かったのが
昨年はなんてことはない目の前の絵画そのものでしか無いように思えてしまった
(もっともまじめに見なかったのがいけなかったかもしれないが)

この例のように感じ方は明らかに鈍くなっている
しかしその反対に感じやすくなっているものがある
人の悲しい感情に関すること つまり涙腺がめちゃくちゃ緩くなっている
テレビ画面で悲しそうな表情を見るだけでもうウルウルしそうになることがある

悲しいに決まっている画面はとても敢えて見る気はしない

ドラマでも分かっていても泣けそうになる場合もある
しかし、あまりにも陳腐だとまたへそ曲がりの気持ちが勝って
しらけたり批判しようとしたりする

それから当たり前といえば当たり前だが年齢を重ねたせいで
合う人会う人が自分より若い人たちになっている
現在の日本の人口構成や現在の自分の年齢を考えれば
別に驚くことではないが、それでもフトそんなことを思うと
やはり不思議な感覚を感じざるを得ない

自分が歳を取ると幼いもの、若いものがとても愛おしく思える
小さな赤ちゃん、新緑、無条件に愛おしくなる

しかし最近気づいた事柄は高校生のこと
男の子も女の子も同じなんだがそれを思ったのは昨日のこと
新城軽トラ市のイベントに高校生の吹奏楽の女子のメンバーが
イベント会場に集まっていた
暑いのにご苦労様と思うより先に瞬間に頭に浮かんだのは
「高校生ってこんなに子供っぽかったか?」
ということ、まるで中学生みたいに見えたりする
(中学生は小学生に見えたりする?)

自分はどんどん年取っていくが高校生はいつの時代も
15歳から17歳
その年齢差はどんどん離れていく
そのせいでこんな風に思うようになるのか

そして気力と根気
これもダメだな
それこそ習慣化しないといろんなことが面倒でたまらない

男はダメだな
女性のように毎日をきちんと生活することが苦手

まずは毎日の生活をちゃんとしなければ
というのが今日の反省
しかし老化は、、、、、
仕方ないか

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