パッション(passion)といえば日本人は多分、熱情とか激情とか熱中を連想する
だがこの言葉にはキリストの受難の意味もある
熱情とか激情が結局は受難につながりそうなのは、なんとなくわかるような、わからないような気がするが
今日豊橋市の「穂の国とよはし芸術劇場PLAT」で行われた劇団四季の「ジーザス・クライスト・スーパースター」を見に行った
ポスターの文字にあるようにキリスト最後の数日間の物語をミュージカルにしたもので
バッハのマタイ・ヨハネ受難曲のロックヴァージョンみたいのものだ
このジーザス・クライスト・スーパースター」を見る(聴く)のは二度目だ
一度目は会場は忘れてしまったが確か名古屋(今池の方のような気がしてるが、、)
なにしろCatsを見てアンドリュー・ロイド=ウェバーの音楽にぞっこんとなって、彼の作品なら
なんでも見ようとオペラ座の怪人はもちろんのこと、スターライト・エクスプレス
エヴィータ(映画で)などを四季の会の会員になって見たのだった
しかし、残念なことにこのミュージカルはあまり覚えていない
僅かに覚えていることと言えば、キリストが悩み多い普通の人間風だったということと
最後の方のシーンで舞台と一切関係ない人物が、ジーザス・クライスト・スーパースターのテーマに沿って
キリストの行いを覚めた調子で歌っていたこと 位のもの
大好きな音楽もこのテーマしか頭に残っていなかった
記憶がないだけに初めてのように新鮮な気持ちで見られたが
この物語はパッション(受難)で、バッハのマタイ・ヨハネ受難曲で
あらかたのストーリーを知っているので物語の進行は(歌詞が日本語のせいだけでなく)
すんなり入っていけた
でも音楽はロックでその歌(歌詞)の部分を意味を聞き取りながら聴こうとするのと
バックの音楽の掛け合い等をしっかり聴こうとするのとは、両方うまくできず
どちらをメインに聴こうかと少し迷ってしまった
忘れていたと言っても、やはり少しは思い出すことはあった
ジーザス・クライスト・スーパースターのテーマだけでなく、時々流れる優しいテーマも
耳に馴染んでいて、それが女声で歌われると本当に癒やされるような気がした
場面はマグダラのマリアが高価な香油をかけるシーン
ユダが裏切るシーン(しかし彼は悩んでいる)
ペテロの否認(鶏が鳴く前にキリストなどは知らないと3度否定するという話)
エリ・エリ・レマ・サバクタニ『我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか』
民衆が十字架につけろと叫ぶシーン
これらは、実際のところバッハの受難曲で知ってたから、ついついそれらと比較してしまったが
ヨーロッパでは受難の劇がイースターには上演されるらしく
(ノイシュヴァンシュタイン城近くのオーバーアマガウでは10年に一度村人総出の劇が上演されるとか)
心底、様々な判断の基本としての精神の持ち方まで影響しているのだろうと思ったりした
このヨーロッパ人に根付いた感覚というのは日本人にとっての忠臣蔵みたいなものかもしれない
(自分は忠臣蔵は好きではないが、みんな知ってるという点で)
音楽ではなく、少し物語の方に話は行くが、結局のところ民衆がキリストに望むものは
魂の救いではなく現世的な利益、病気を直してほしいとか、目が見えるようにしてほしいとか
歩けるようにしてほしいとか、、つまりは奇跡を起こして欲しい
そうすれば信じることができる といった様相
しかし、キリストは何時までも生きられない、いなくなったら実現されないような解決は
解決ではない、そこで冷たく言い放つ「自分でやれ!」と
この部分はなかなか面白かった
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中の有名な大審問官の場面を連想させる
スペインにフト現れたキリストを大審問官はキリスト本人だと自覚しているが
もう彼(キリスト)の役割を果たすものはない、すでに自分らが現世の幸福を感じさせることを行っている
「人はパンのみにて生きるにあらず」と言ったところで現実の人間というのは
手っ取り早く現在の幸福を望んでしまうものだ、、そして人はあまりにも弱い
この弱さを描いたシーンがペテロの否認だが、バッハのマタイ受難曲でもこの部分は一種のピークで
レシタティーヴォが悲痛な音形で語られた後、瞑想的なヴァイオリン伴奏のアルトのアリアが
歌われるが、このミュージカルでもこのシーンは印象的なのもだった
その他にも裏切った人間的なユダが(多分)地獄に堕ちる(吸い込まれる)時の、
少し寂しげな女声のコーラスは地獄に落ちるとしてもどこか同情してるような思いを人に呼び起こす
もので印象的なものだった
ところで全体を振り返ると、もしかしたら今日一番印象に残ったのは「声」かも知れない
声量と息の長さ
これにはびっくりした、どこかにマイクを付けてるかどうか知らないが
声は有り余るほどの声量だった
そして息の長い事、ひとつキリストが大きな声でずっと音を引き伸ばすシーンがあったが
こちらがハラハラして(心配して)しまいそうなくらい長いシーンだった
そして音程が急に高音に変わって裏声となる箇所も少なからずあって
その音程の変化についていってる(当たり前か)プロの仕事ぶりというのはすごいな、、
そしてコーラスの効果的なこと、、
開演時間は金曜日の2時からということで、この時間に来られるのは劇団四季のターゲットとは思われない(?)
ちょいとお歳を召した方が(自分を含めて)多かった感じ