一月ほど前に訪れた宇治の「源氏物語ミュージアム」で目に入ったのが
几帳と説明には書いてある
実はこれで納得したことがあった
宇治十帖で薫が宇治の大君のところに忍び込んだときに、仏壇との境に立てかけたものが
文の中では御帳となっていたが、自分は勝手に衝立みたいなものだろうと想像していた
しかし御帳は天蓋付きの12本の柱に囲まれたベッドみたいなものとの説明がネットで調べると出てくる
そんなに大きなものを一人で立てかけることはできないので
自分の勝手な衝立みたいなものとの想像は違っていたのか、、と思い、どこかモヤモヤしたままでいた
ところが御帳が几帳ならば一人で動かすことのできる
問題はこの家具を微妙な場所に置いたのが薫なのか大君なのかという点
この行為の主体が誰かで物語のニュアンスは随分違う
現代訳の数冊は几帳を立てかけたのは大君で、薫が立てかけたとするのも同じくらいある
(主語が除かれた文章なので)
大君が立てかけたとすると、その覚悟を感じず結局は何もしなかった薫の行動は
現代の女性の読者たちには評価が低い
実際のところ女ならずとも、その気持ち、わからなくないな、、、
紫式部はどちらをイメージして書いたのかは知らないが
立てかけたのは大君とするほうが物語の深みがあって面白い
さて何を言ってることやら