そこに行かないと本当の雰囲気はわからないと思うが
現在、東京に漂う空気は一体どんなものだろうと思う
地方にいると、政治家の話やオリンピックはテレビの中のことのように思える
だが、時々東京のホテルに泊まってテレビを見ると
それらのニュースがとてもリアリティーをもって感じられる
自分がいる場所が違うだけで同じ報道の感じ方が違う
オリンピックの一番の当事者の東京都民はどのように感じているか
それをSNS上の投稿数はなくて、肌感覚としてどう感じられるかに
とても興味がある
安保関連法案の反対のデモのときは現場にいたが、そこで感じたエネルギーは
そこにいた人しか感じられない塊のようなものだった
それは一種の一体感をもたらすもの、同じように考えている人がいる
といった安心感をもたらすものだった
でもコロナ禍の中、計画されているオリンピック
安心のための数値的な目標は示されず、人流を抑えるといいながら代々木公園のパブリックビューイング計画
(これは中止になったが、井の頭公園はまだ中止になっていない?)
オリンピック運営管理費の考えられない日当
今まで充分な数のPCR検査ができていなかったにもかかわらず、
期間中は今までできていなかった数を大幅に上回る数の検査の実現
一つ一つを挙げていくと、首をかしげる事は呆れるほど多い
そうした不安や疑問や怒りは地方にいても感じる
しかし、問題はこれを東京都民がどう感じているかということで
遠く地方にいる自分にはその空気が全然わからない
当事者が声を挙げなきゃ、なんともならない、、
ことの本質はそこにあると思いたいが、何故か自分には東京人の意志のイメージが浮かばない
おとなしく従順な多くの人、気晴らしに自己を正当化しながら騒ぐ人
そしてそれを報道する価値があるとして流し続けるメディア
はっきり言えば、それらは自分の理解の範囲を超えている
もちろん自分の感じるように多くの人も感じるわけではないので
自分の思いは単に独断と偏見に過ぎないが、それでも東京人の静的な姿勢とか態度は
よくわからない
一番心配なのは後世の人達に
「あなた達はあのとき何をした!」
と批判されることになりはしないかということ
それは先の戦争について、親の世代が我々に問いただされた深刻な問題と同じだ
自らの意志を表明する、、このシンプルなことが、
この国ではとてもむずかしいことのように思えてしまう
(尾身さんの発言に対するブーイング等を含めて)