パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

アイヒマン裁判の判決文

2021年06月08日 19時03分51秒 | あれこれ考えること

ハンナ・アーレントの「悪の凡庸性・陳腐さ」の言葉で有名になったアイヒマン
彼の裁判判決文は、その意味するところがとても大事だと思われるので
以前ここでもアップしたが、今一度、改めて取り上げるをも意味あることと思われる
読んだ方は、どう感じるのだろう?


君は戦争中ユダヤ民族に対して行われた犯罪が史上最大の罪であることを認め、そのなかで君が演じた役割を認めた。しかし君は、自分は決して賤しい動機から行動したのではない、誰かを殺したくなったこともなかったし、ユダヤ人を憎んだこともなかった、けれどもそうするよりほかはなかったし、自分に罪があるとは感じていないと言った。われわれはそれを信じる事はまったく不可能ではないまでも困難だと思う。(中略)

君が大量虐殺組織の従順な道具となったのはひとえに君の不運だったと仮定してみよう。その場合にもなお、君が大量虐殺の政策を実行し、それ故に積極的に支持したしたという事実は変わらない。というのは、政治は子供の遊び場ではないからだ。政治においては服従と支持は同じだ。そしてまさに、ユダヤ民族および他の多くの国の人民たちとともにこの地球上に生きることを拒むーーあたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み誰が住むべきでないかを決定する権利を持っているかのようにーーー政治を君が支持し実行したからこそ、何人からも、すなわち人類に属する何人からも、君と共にこの地球上に生きたいと願うことは期待できないと思う。これが君が絞首されなければならぬ理由、しかもその唯一の理由である。

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外国の政治家・ジャーナリストは、あの討論をどう感じているのだろう

2021年06月08日 09時46分31秒 | あれこれ考えること

あの人から「安心安全」という言葉を何回聞かされたことだろう
安心は心の問題、安全は制度の問題で、安全が確保されたからと言って
心が安心になるわけではないと、元フジテレビのアナウンサーで
今は弁護士資格を持つ菊間さんはいう

具体的な数値とか条件が示されないのは、政治的な思惑があるせいだと解説者は
説明するが、国会での抽象的なやり取りはもやもや感だけが残る

不意に現在の日本の国会のやり取りを外国の人たち(政治家・ジャーナリスト)が
見聞きしたらどんな風に感じるのだろうと考えた
例えばアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ  いわゆる民主主義国家とされる国は
現在の日本のような国会討論をどのように評価するだろう

日本にいると日本のことしかわからないが
外国の討論の場でもこんな風に、言質を取られないような曖昧な答弁が通用しているのだろうか
だから、そんなのはよくあることと思うのだろうか
それともこの国の進め方はどこか異常で、成熟していない進め方と感じるのだろうか
外国では白熱した熟議が可能になっているのだろうか
どこかの国の討論の場面で議長が「質問に答えていません、きちんと答えてください」
と答弁者を正したシーンがあったが、そのような討論でのルールは
あたり前のように実現されているのだろうか

日本は日本、それは良いとしてもそれが世界標準かという点が気になる
戦争中の真っ只中に行われた知識人同士の討論「近代の超克」は
近代とは現実的には西欧の思考法や文化のことで、
果たして日本人はそれを超えられているのかが問題視されたが
(福沢諭吉もそのような不安を持ったようだが)
この問題は今でも深刻な問題として依然と存在しているような気さえする

思想・文化が内面化されてそれが自分たちのものになる
民主主義とかのシステムも本当に自分たちのものになっているか心配になる
でも、心配ばかりしてても意味はない
ただ上から目線の指摘ではなく、我がことように自ら気づく様になるのが一番で
それには時間も手間もかかるるが、手遅れにならぬようできることをしていくしかない







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