パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

あれこれ思うこと

2022年05月19日 09時08分51秒 | あれこれ考えること

ちゃんとした社会人を育てるのがスウェーデンの教育
良い労働者を育てるのが日本の教育
ある人から、こんな感想が出てきた
(先日のある勉強会で)


詳しく見ていけば必ずしも上手くいってるとは言えないかもしれないが
「あなた自身の社会」(スウェーデンの中学教科書)を読んだ人は
同様な思いをもつに違いない


若い人の投票率が低いと危機感を感じてる今の日本
だが実態は、18歳以下は政治的な話をするのは世間体が悪いという空気が
当事者にも周りにも存在する
自粛して避けてきた問題を、18歳になったからさあ投票に行こうと声をかけても
その気になれないのはわからないでもない

ただ、問題はこうした世間の空気だけが低投票率の問題ではなさそうなことだ
何故、投票に行かないのか?
と尋ねると、割合多いのが投票に行くよりも優先することがあるという答え
投票行動の前の考える時間を含めると、若い人は目の前のなすべきこと
気になることを消化するだけで精一杯だというのだ
(投票なんかに時間を費やす時間や価値がない、、と)
でも若い人の中にも問題意識を持って投票に出かけたり、投票の啓蒙活動をする人がいるのも事実

いったい何が違うのか?
少し敬遠気味に見られがちな意識高い系の人々は
個人が労働者としての立場だけでないと感じられる恵まれた社会的環境にいることが多い
自分の周りに意識高い系の人がいて頻繁に交流できていたり
他国の状況を実体験として、あるいは本を読んで比較できる環境にある

人は何かと比較することによって人は気づきを感じる
ある日突然になにかに目覚めるということはなくて、自分が当たり前と思っていたことが
別のところでは違う事実に対面して、それは何故だろうとか、どちらが良いのだろうと
考えることが気づきの一歩だ

そこには環境の差が存在して、それは経済格差と相関関係があるかもしれない
わかりやすく言えば、経済的余裕のある人は社会の問題を考える時間も
その情報に接する機会も多く、気づきも多くなる
もし投票率と経済格差に正の相関関係があるとしたら
下の階層の人は自分たちの望むものは自ら実行できないような行動をしている
ということになりそうと想像するのは極端すぎるか?

「自分で始めた人たち」に登場した人たちは、
その行動力とか意識の高さに頭が下がるが、みんな余裕のある環境下にいた
(留学経験とかITスキルの高さとか、、)

つまりは、ある程度の余裕のなる人でないと
他人を慮るような行動や判断はできないかもしれないという思いを持ってしまった

こうした現実は、広い視野と常識的な見識をもつ貴族に重要な判断は任せよう
というシステムに落ち着くのはなんとなくわかる
だが、人の集まりの社会はなかなか理想通りには動かない
信頼されるべき貴族の中にも困った人が混じってしまうのは、これまた現実
だからと言って、大衆に判断を任せるのは大衆はポピュリズムに振り回されそうで怖い

と、面倒くさいことをあれこれ想像しても前には進まない
やはり、意識高い系の人による啓蒙活動が必要なのかな、、と思うこの頃
相変わらずまとまらない話!

コメント
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