月木の朝の日課は近所の子供たちとのウオーキング
見慣れているはずなのに、彼らの背が高くなっている
と感じたりすることがある
夏休み明けはしばらく見ていないので、それはよくあることだが
今朝も不意に、彼は大きくなったな、、、と気付かされた
身長が伸びただけなく、足の筋肉もたくましくなって
今までは棒のようだったのが、明らかに重いものも運べる体になっている
昔のサッカーのコーチ時代、練習の前後、小学1.2年生がゴールを運ぶときなどは
彼らはほとんどその作業に参加してるだけ、手を添えているだけで
力を出していない(出せていない)
あの細い体を見れば力など出るはずはない、、と結局は大人が頑張ることになっていた
ただみんなで運ぶという行為は大事だと思っていた
校門で小1の子がやってくるのを迎えると、少し前までこども園にいたことに気付かされる
ちっちゃい、、この子たちは小学校までの道のりは長く感じるだろうな、、
と余計な心配をしてしまう
でもこの子たちも知らないうちに逞しくなっていく
近所の子で一番小さいのは小2、この子も一年の間にいろんな面で成長した
最初はなんでも言うことを素直に聞いてたのが、少しづつ我儘になって
少し都合の悪いことをする時はお姉ちゃんに見つからないように
悪知恵が働くようになったりして、、、
それに歩くスピードも早くなった(でも列の最後を歩いている)
ほんと、みんな大きくなったな、、などと感心してると
不意に「柱の傷は一昨年の、、、」という歌が頭に浮かんだ
釘で柱に自分たちの身長を印する
そんなことは昔自分たちもやった
柱に兄弟分の幾つもの横棒の傷がつく
その傷も喜ばしい思い出として親たちは見逃す
傷だらけのその柱は今はない
今の子たちは「背くらべ」の歌をどのくらいのリアリティをもって歌うのだろう
柱の傷は許されているのだろうか
背くらべ
せいくらべ【歌あり】童謡