「嘘をついたことがない」
というのは、経験を積んだ普通の人間なら真っ赤な嘘だと思う
「私が嘘を言うはずがないじゃないですか」
テレビ中継がある中でこの様に公言した人は
結果的にある人物の死を招き
自らも軽率な行動の総括を受けることになった
裁判でも国会の証人尋問でも、それが行われる前に
嘘偽りのない答弁をする旨の宣誓書を読み、書類に署名する
この署名時に身体がブルブル震えて異様な緊張感を
傍からみても感じ取れる人がいた
(この人は本質的に正直な人なのだろう)
世の中には、そう宣言しても平気で嘘をつく人はいる
経験豊かな弁護士さんに聞くと
一般的に社長と言われる人々は平気で嘘をつく!
との印象を持つそうだ
マックス・ウェーバーによれば、賢い公務員も苦手な人がいて
それは実業界で修羅場を踏んでいる人のしつこさ、強引さ
押しの強さらしい(籠池さんも苦手なタイプか?)
その人達にとって生き死にに関わることは、他人事のようには
やってられないようだ
ピケティの「20世紀の資本」には成功した人の3分類が紹介されているが
1つはまともに努力した人、2つ目は運が良かった人
そして3番めは塀の上を歩いた人たちだ
この3番めは相当な確率で存在しそうな気がする
生命力、活力、エネルギーに満ちた人々は
ついついそうした選択をしそうな気もする
ところで裁判や証人尋問では、自分しか知らない判断や、人に話したことは
本人の言葉でしかわかり得ないので、疑わしくてもそれを聞くしかない
こうした時、裁判などでは本人の言い分をどの程度聞くのだろう
はっきりした証拠がなくても、状況証拠的なもので
かなり疑わしいと推察できる事はある
また普通の人が世間常識的に考えれば、それはない!と思われる
苦しい答弁もある
こうした時、判断する人は何を根拠に白黒つけるのだろう
疑わしきは罰せず!
を利用して嘘を突き通した人の勝ちとするのだろうか
ただ行政裁判の場合は、刑事裁判と違って罪を犯した人を罰するのが目的ではなくて
不法行為で損害を生じている人を守るのが主で
その損害を補うために、大概の人が想像するような理屈やストーリーを
受け入れる可能性がある!と、なにかの本で読んだ記憶がある
でもそれは、建前論だけなのかもしれない
人は嘘をつく
これは紛れもない事実だ
でも嘘には、いい嘘があるのも事実だ
誰かを守るためにつく嘘
最近では家族中が協力して、年とった人にバレないようにしていたこと(嘘)もある
嘘をつく、つかないで肝心なのは、きっとバランス感覚なのだろう
ところで約2年にわたって係争中の件、
例の人は嘘をつくのがわかり切っているから、証人尋問をするのが適切かどうか
悩んでいるところだ