パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

同じ曲でも違うメロディ(シクラメンのかほりとブルックナー8番)

2023年10月15日 16時21分40秒 | 音楽

布施明が歌いレコード大賞を受賞した「シクラメンのかほり」は
小椋佳の作詞・作曲で、自らも歌っている動画がある
だが聞いていると布施明の歌との違いに気がつく

一番の歌詞では
真綿色したシクラメンほど 清しいものはない
出逢いの時の 君のようです
ためらいがちにかけた言葉に
驚いたように 振り向く君に
季節が頬を染めて
過ぎてゆきました

赤い部分のメロディが小椋佳の歌では音程が下がって
布施明の歌とは違う
聞き慣れている分だけ布施明の歌のほうが良いように思えるが
作曲者としての小椋佳は布施明が違うメロディで歌うことを
どう思ったのだろう

森進一の「おふくろさん」では作詞家の川内康範氏が
森進一が余分なセリフを挟んだことに腹を立て
歌うことを禁止にした騒ぎがあったが
小椋佳はそんなに騒ぎ立てずにいる

彼は布施明のメロディ選択も一理あると考えて
大目に見ているのだろうか

同じ交響曲でも版がいくつもある作曲家がブルックナー
実演で5回体験し、レコードもCDも数枚所蔵しているのが8番の交響曲で
特に第3楽章はこの上なく好きだ

この楽章は(この楽章だけではないが)布施明と小椋佳のように音楽が違う
それは作曲家自身が手直ししたところと
弟子が変えてしまったところがあるようだが
クライマックス(ファンファーレ)直前の音楽の数小節が
有りや無しやの是非が問題となる

元々はクライマックの直前は、突然無関係な音楽が始まったかのように
エネルギーを貯めるような音楽が数秒続くが
別の版では晴れ晴れしいファンファーレに一気に移動する

ここで好き嫌いの話になるが、個人的にはモタモタした感じの残る
数小節多い方の音楽のほうが好きだ
数年前、名古屋でブルックナーの8番をウィーンフィルとベルリン・フィルで聞いた時
ティーレマン指揮のウィーンフィルでは数小節があるほう
メータ指揮のベルリン・フィルのほうはそれがなくて一気にファンファーレにいったが
それも悪くはなかったが、やはりあったほうが不器用なブルックナーらしい気がした

ということで、同じ音楽でもいろいろ違うということ
念のために小椋佳の歌うシクラメンのかほりは、こんな感じ

シクラメンのかほり 小椋佳



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こんな時だから読んでみようか「ユダヤ人」、「全体主義の起源」1

2023年10月15日 09時06分34秒 | 

気が滅入るニュースが続いている
イスラエルとパレスチナ自治区のハマスとの戦いは死者の数も劇的に増えている
双方とも相手に関する感情は憎しみしかないかもしれない
「報復」それだけが感情の行き場のようになっている
建築物も破壊され、復興するにはどれだけの時間を要するだろう
テレビでこのニュースが報じられるたびにチャンネルを変えたり
電源を切ったりする

長年の憎しみのリレーは解決法が無いような気にさえなってくる
不意に、こんな時だからこそ本棚に並ぶ上下の本が目に入った
それは「ユダヤ人」マックス・I・ディモント著


情けないことに一度読んだがほとんど覚えていない
切実感や実際のトラブルを感じていないからと思われる
日本人は多分「ドレフェス事件」も「シオン賢者の議定書」にも疎い
日本人は西欧の価値観で生きている様に見えても
ユダヤ人の対する共通理解等に大きな違いがある
(日本人はユダヤ人に対する感覚はないかもしれないが
    韓国人には特別な感情があるかもしれない)

それでも多くの人が亡くなってる現実は心が痛む
戦争は戦い争うと書くが、憎しみの連鎖を生むだけの馬鹿げた行為
この遠くの国の悲惨な事件が、日本の田舎の個人の気持ちまで乱してしまう
なんとか「正気に戻って」解決法を模索してほしいと切に思う


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