「そういえば、このあたりに若紫の姫君はいらっしゃるのでは?」
と藤原公任が紫式部に語りかけたことが
寛弘5年11月1日の紫式部日記に書かれている
この記述が源氏物語が読まれていることを示す歴史上最初の記録で
それにちなんで、この日を「古典の日」となったようだ
このセリフは昨日の「光る君へ」で使われていた
脚本家は、この有名なセリフを使うチャンスを虎視眈々と狙っていたに違いない
ついに出たか!が第一印象だった
脚本家はドラマにいろんな仕掛けを入れ込んでいる
ここでそう来たか、、と、解読しながらドラマを見るのは
源氏物語をとりあえず読んだことのある人は、より楽しめるに違いない
昨日、そう来たかと感じたもう一つは、彰子の出産シーンで
安産を願う多くの僧侶の読経のなか、生霊が乗り移ったと思われる
女が奇声を発し、狂ったような行動をしていた
別の場所では藤原伊周が呪詛を執念深く行っていた場面
源氏物語の出産のときの生霊のエピソードと言えば
葵の上が光源氏の息子を生む時のそれがまず頭に浮かぶ
六条の御息所が賀茂祭の車争いの屈辱と葵の上の出産を恨んで生霊となって
葵の上を苦しめるシーンで、シチュエーションはそっくりだ
物語では葵の上は子ども(夕霧)を産んで死んでしまう
このシーンは昔も印象に残るものだったようで、能の「葵の上」は
生霊が登場し、横川の祈祷師と戦うストーリーとなっている
能では子どもを産む葵の上は舞台に登場せず
そのかわりに葵の上を想像させる衣装が舞台に置かれているだけだ
生霊は祈祷師に負けて最後は引っ込んでいくが、源氏物語は予定調和では終わらない
ドラマであのように生霊を可視化したのは
源氏物語を読んだことのある人へのサービス精神の現れではないか!と思う
つまりは、あのシーンはほとんどの人が葵の上のエピソードを連想する
それを楽しんでください、、とのメッセージだ
ところで新城市は江戸時代から能が庶民の間でも演じられ
少し前には「薪能」が文化会館で行われた
能の演目は今年の大河ドラマに合わせて「葵の上」だった
それにしても、思いのほか興味深い今年の大河ドラマ
昨日、久しぶりにお茶した彼は
「平安時代のことなのに、こんなにハマるとは思わなかった」
と「光る君へ」を評価していた
視聴率はどうか知らないが、少なくとも自分は高評価している