覚えているのは、おかしなことばかりというのはよくあることだ
先日の中村哲さんのイベント「医師中村哲の仕事・働くということ」の上映会のあとの
カメラマンとジャーナリストの対談で覚えている変なことは、こんなこと
中村哲さんが馬に乗って地域の診療に出かけたときイヤホンをつけていた
聴いていたのはモーツァルトの音楽だった!と対談の一人が口にした
たったそれだけで、対談全体に意味あることとは思えなかったが
自分は一気に中村哲さんにシンパシーを覚えた
彼もモーツァルトを聴いたときに感じるあの感覚を楽しんでいるのか?
と、どこか仲間のような気がしたのだった
もう一つ覚えている変なことは、対談者のカメラマンが中村哲さんの
部屋に出かけた際に見かけた本棚のこと
医学書、土木関係の本は必要な類で想像がつくが、その他に
「クレヨンしんちゃん」の漫画が10冊くらい並んでいたというのだ
クレヨンしんちゃんは馴染みがなくて共にする感覚を覚えることができなかったが
漫画を楽しむという感覚はわかる
北杜夫も漫画をずっと読んでいたようだったし
自分もいい歳になっても立ち読みで少年漫画を見ていた
人には当たり前だがいろんな側面がある
そういう側面がたくさんある人のほうが、面白いように感じてしまう
人への理解は、実はそうした些細なことから始まるのかもしれない