よくわからないなあ!
と思うのが有名な観光地等で自撮りして、それをSNSにアップする気持ち
確かにその光景に感動して思わず写真をとるということは自分にもあった
上高地の河童橋と穂高連峰の見える光景は、初めて見たときから心奪われて
ついつい同じような写真を何枚も撮った
あまり期待していなかったドイツのノイシュバンシュタイン城も
マリエン橋からの姿がとんでもなく美しい風景は
ルードヴィッヒ2世が求めたものはこうした美しさだったのか
と妙に納得したものだった
でも、それらの写真には自分は写っていない
(上高地を撮影したことはまだ自撮りできるスマホはなかった)
写真を残すのは、それをきっかけに楽しかった記憶を呼び起こしたいからだ
でも、時には写真を撮ることが気になって、風景を楽しめなくなることもあったので
写真に撮るより記憶の中に深く保存しておこうという気になった
(写真はないが記憶に残っている素晴らしい光景は槍ヶ岳から見た朝焼け)
自撮りで危険にあう人が多いとニュースにあった
自撮りは自分だけが楽しむためというよりは、SNSにアップするためのようだ
自分がそこにいたとか、そこで有名なものを食べたとかいうことは自己完結せず
人に伝えてこそ意味があるかのようだ
それは見る人が多いと収入につながる経済的な面から解説がされることが多いが
個人的にはもっと別の理由のほうが大きい気がしている
それは承認欲求ということ
人は誰かに認めてもらえないと辛い生き物のようだ
それを見たとか食したということは全く個人的なことだが
それを誰かに伝えて初めて意味があるかのようだ
世の中にはこれだけ自撮りの写真が出回っているというのは
みんな寂しいからなのだろうか