パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

イマジン

2022年02月06日 09時19分21秒 | あれこれ考えること

自分は見なかったが北京オリンピックの開会式に
ジョン・レノンの「イマジン」が使われたようだ
この曲は繊細な独り言のような音楽と自分は感じているが
歌詞の内容が理想主義的ゆえに、こうした公の場所では使いやすい

だが現実はオリンピックはスポーツの祭典と言うよりは
政治的な国威高揚の一つの手段となっていて
「国境なんて無いと想像してごらん」は非現実的なものとしか思えない

国境がなくなり、みんなが仲良くなる世界
それは理想としても、いつそれがなされうるかは
根本的なところ(地政学的に)に難しい問題があると思える

国境のない世界、それは資本主義が完成し、いきつくところまでいった後に
社会主義に移行するといった理想主義的な考え方に似ている気がする
(自然と移行するか、革命によって移行するかはあるにしても)

最近はより一層、自分たちの国家とか民族のアイデンティティを
意識することが多くなって、分断とまでは言わなくても
自然発生的なこうした傾向は止めようが無い気もする(それは文明の衝突か)

ただみんな仲間という意識は、多少は教育とか環境で補えるようだ
インドにはカースト制があって、他の階層の人たちとは交わりにくいらしい
ところが子供の頃にいろんな階層の人と混じって教育された人々は
成人になっても自らの出自のカーストを意識せずに交流ができるらしい

つまりは、差別を自制する精神は、ある程度は教育とか訓練によって
変えることができるかもしれないということだ
そうなるためにはまずは知の分断(教育の分断)をなくさねばならない
残念ながら知の分断は経済の分断から生まれる確率が高い
経済の分断は知の分断のみならず、個人の体験の絶対量の差も生み出す
(コンサートや展覧会に行ける家庭と、行ったことのない家庭などの)
するとそこから生まれる個人の自然発生的な発想は
実は安易に一般化できるようなものではないと分かる
つまり「自分と他人」といった関係性だ
自分が当たり前思っていたことが、当たり前でない世界があるということ
それを認めるのは訓練とか慣れだと思う

何やら面倒な話になってきたが、現実的な視点からすれば「イマジン」
の世界観は大声で謳うそれではなくて、独り言のような世界観と思えるということ

「イマジン」は大声で歌いにくい
ジョン・レノンの曲で大声で歌えるのは「パワー・ツー・ザ・ピープル」とか
「ハッピークリスマス」のコーラス部分だ
あれらはみんなで歌うにふさわしい

「イマジン」は夢想家の独り言のような歌
それは実現されないゆえにとても大事なものの世界
でもこれがあまりにも大ぴっらに唯一無二の価値観として歌われると
どこか恥ずかしく思えたり違和感を覚えるのは、、偏屈すぎるか




 


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