漢字を読むことはできるが書けないことは最近の人は多いのではないか
スマホ・パソコンでは直ぐに変換の候補が出てきて
それで済ませてしまう弊害だと思われる
これを無くすためには、まずは書くという行為を行ったほうが良いようで
記憶は書くことで定着するという実験データもあるようだ
(昔は英単語はまずは書いて覚えた)
似たようなことでも、頭に入り方が違いそうなのは
本を読んで知識を仕入れる場合と、Youtubeで動画を見て仕入れる場合だ
そして本でも紙の本と電子書籍を読む場合の違いがありそうだし
同じ内容でも直に講演等を見聞きするのと、動画を見るのではだいぶ違いそうだ
実感からは電子書籍は読んでいても内容が素通りしていく気分で
気合を入れて電子書籍を読むということはない
電子書籍で済ませられるのは、週刊誌ネタとか
読み飛ばしても問題がなさそうな内容のものだけだ
同じ読むという行為でも、集中の度合いとか脳の活動範囲とかは
紙と電子書籍とは違う気がして、紙の本好きとしては紙のほうが好ましいと思いたい
しかし、それは紙で育った人たちの感覚で
早い内に電子書籍に触れている人たちは必ずしもそうではないかもしれない
動画からの知識より、自らの働きかけの必要な本を読むことのほうを重視したい
と考えているが、時代はそうとはならないようだ
本を読む代わりにYoutubeで済ませる
こう言う人が少なくないようだ
(知人にこういう人がいる)
話は変わるが、10万円得するのと損する場合、心に強く影響を与えるのは
損した時の方だと言われている
損することに対する被害意識とか嫌悪感は、得する喜びよりも大きいのは
人が生まれながら持っている傾向のようだ
同様に情報について考えてみると、悪口とそれにつながる怒りを催す情報と
穏やかな少し理屈っぽい情報は、どちらのほうが速く広く伝達されるか?
を比較してみると、これは全世界的に前者の圧倒的な勝利らしい
最近はオールドメディア対SNSの戦いと言われることが多い
だが、この戦いは言われるような偏向と真実との戦いではないようだ
フェイク対真実の戦いなら理屈で解決できそうだが
ある陣営は、その内容が真実かフェイクかはどうでも良いと思っているらしい
彼らにとって価値あるものは、多くの人の感情を動かすもの(怒りを催すもの)
そしてそれが行動につながるもの、それこそが価値あるものとしているようだ
最終的に数の多さを競う選挙とか世論調査等においては
今までは正確な情報に基づく、人の合理的な判断を前提にしていたが
最近は、数を競う戦いの場においてはそうではなくて
人の感情を動かす戦術・技術の違いが勝負を決めてしまうようだ
つまりは本質的な問題ではなく、戦いの上の技術論で勝負がついてしまう
それはマニフェストの良し悪し、実現性等ではなくて
ネガティブキャンペーンこそが勝利のコツと開き直っているかのようだ
(トランプさんや立花孝志氏を思いうかべることができる)
技術の進歩でエライ世の中になってしまったと思わざるを得ないが
それでもそうした中で、人はどのようにベターな選択をするには
どのような生活をすれば良いのかと少し考えてしまう
本を読め!一人ひとりが個の確立を目指せ!
こうした助言が響かないのが今の世の中のような気がしてならない
(説教的すぎる?)
今日も、まとまらない話
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