今日は憲法記念日、以前憲法についてある本を読んで刺激を受けたことがあって
ここで取り上げたことがあったが、それがなかなかのものだったので
今日は三度目になるが引用して取り上げることにした
それは団籐重光氏の「法学の基礎」の最初の方にある「努力」の言葉のこと
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の普段の努力によって
これ保持しなければならない【憲法12条前段】
この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得
の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び
将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである
【憲法97条】
団籐氏は「努力」という言葉が二度も使われていることに注目し
基本的人権は、「与えられたもの」ではなく、われわれ人類が努力によって
作り出したものであり、今後はさらに努力を重ねることによって、さらに発展させて
いかねばならないと説明している
憲法などと堅苦しいものには縁がなかったが、この部分を読んだときには
素直にその通りだ、、と納得した
更にこのようにも記している
憲法の規定の上では、将来については「保持」というやや消極的なことばを
使っているが、その精神からいえば、単に保持するというだけでなく、さらに
拡充し、発展させ、また単なるお題目ではなく現実的なものとして行くことが
当然に、我々に「課せられている」ものと言わなければならない
この方団籐氏は法は静的なものではなく、動的なものとしている
解釈主義ではなくて、実情に合わせて努力して変更すら考えていくのが
法の基礎としている(と自分は解釈した)
話は変わるが、フランス人は(ドイツ人も)バカンス等の長い休日の権利を得ている
それを日本人が羨ましそうに愚痴をこぼしたところ、フランス人がつぶやいた言葉を
X(旧ツイッター)で見かけ、とても参考になった
(どこかに残っているはずと思ったが見つからなかったが)
それは、長いバカンス等の権利は上から与えられたものではなく
国民が犠牲を伴いながらも手にしたもので、日本のように何もしないでいた訳ではない
ときっぱり宣言していることで、つまりは不断の努力のおかげだとしている
最近のXはなかなか厳しい内容の投稿も多く、外国人の似たようなこんなのも気になった
お給料も安い、なのにデモやストライキもない。
それどころか国民の半数が選挙にすら行かないんだぜ、ビックリだよ。
西欧的な思考自体が良い悪いは別として、世界は日本人をこのように見ているのかもしれない
つまりは努力が足りないと見ているのだ
最後の最後になって(痛い目をして初めて)日本人は気づいて、なんとかする!
というのは実は希望的観測に過ぎないのかもしれない
最後の最後になってしまえば何かをする権利すらないのかもしれない
というのが歴史とか現実社会から気づくことだ
不断の努力というのはものすごい努力ではなくて、ごく当たり前のことを
継続的に行うと言うことなのだろう
ところで「努力」という言葉は現在の上皇さまもかつて使っていた
それは平和についてで、ある人のツイッター(2017年)によれば
昨日の天皇陛下と安倍首相の言葉の差。反省表明の有無とかよりも
日本の平和を築き上げた基盤が「戦後の国民のたゆまぬ努力」という前者と
「祖国を思い命を捧げた皆様の犠牲の上」という後者の根本的乖離が気になった
戦争による死は犠牲者であって、英霊の魂とか散華とかの言葉で
美化されるべきものではないと思う
特に分別臭くなることはないと思うが、それでもダメなものはダメとする
自然法的、倫理的な発想がもっと社会に溢れている方が良い世の中だとは思う