本当に久しぶりに宗次ホールにでかけた
朝に出し物を調べると田部京子さんのピアノリサイタルとあって
当日券が有ればラッキーで、ついでにミロ展2回目を見ることして
とりあえず名古屋に向かった
やっぱり生の音は良い
音の出口がスピーカーより大きいので、空気の振動が全体的で
包まれる感じがする
プログラムはブラームス、シューベルト、シューマンの作品だ
これらの作品は初めて聴く作品だ
もしかしたら、聴いているかもしれないが間違いないのは
印象には残っていないということで
自分にとってはシューベルトもブラームスも
作曲家としてはどこか物足りなくて相性がいいとは言えない
シューマンは「詩人の恋」とか「謝肉祭」は好きなので
この二人ほどの違和感はない
生の演奏会というものも慣れが必要なのかもしれない
しばらくご無沙汰していたせいか、なかなか集中ができない
それでも楽しんだほうが勝ちということで、初めて耳にする音楽から
色々連想することに気持ちを入れ替えた
初めて聴くと演奏家の比較はできないので、音楽自体が作曲家の視点で迫ってくる
つまりは作曲家の個性とか癖がより強く感じられるような気がする
初めて聴く音楽は、まるでキース・ジャレットのソロコンサートみたいだな
と漠然と頭に浮かんだ
ブラームスもシューベルトも旋律依存の高い作曲家のような気がする
と言っても作曲技術をとやかく言えるほどの知識はないので漠然とそう思うだけ
でもベートーヴェンのようなかっちりした感じはないし、モーツァルトのような
直感的な迫る様子もない
ピアノという楽器に対する効果的な演奏アイデアも、どこか物足りなくて
モヤモヤしている感じがどうしても残る
それと比べるとシューマンは良かった
「詩人の恋」のピアノ伴奏もヴォルフのピアノ伴奏並みに雄弁で
ピアノパートを聴くだけでも楽しめるが、今回のプログラムも
前の二人に比べるとピアノの特性を発揮しているような気がした
(と素人の自分は思ったということ)
この演奏会の前に、近くの愛知県美術家で開催中のミロ展にでかけた
2回目だから前回よりじっくり見られた
ここでも変なことが印象に残った
それはミロの作品ではなく、ミロを紹介するコーナーに
ミロの工房がものすごく大きな写真があって
その工房には彼の作品が無造作に並んでいた
その落書きのような作品群の迫力のあること
まるで子どもたちが何人もそこにいるかのような雰囲気だ
彼はこの場所から離れたくないだろうな、、などと連想は広がった
前回も写真撮影の作品には遠慮なく撮影させてもらったが
今回の撮影可能なコーナーはこちら
この訳のわからない絵も好き
前回は購入しなかったミロのグッズも、少しだけ手に入れた