パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ベートーヴェンの初期のヴァイオリン・ソナタ演奏会

2024年04月07日 10時50分13秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

早死したモーツァルトは勿論だが、ベートーヴェンやフルトヴェングラーの
生きた時間を超えて久しい
だが年齢を重ねて彼らの達した境地を思うと、今の自分はあまりにも情けない
長生きしても精神はこんなものか?と思えて仕方ない
比べる相手が悪すぎるのだ、、と思うことにしても
もう少しちゃんとしないとマズイかもしれない

理由あって家を長く空けることができないので
日帰り旅行はもちろんのこと、夜遅くなるコンサートなどは
控えるようにしていた
だが昨日、本当に久しぶりに室内楽の生演奏を聴きに名古屋まで出かけた

それがこれ

室内楽専用のホール、昔はスタジオ・ルンデと呼ばれていたところ
今はハレ・ルンデと名前も場所も変わって、数年前に再開した会場で
開かれたベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの演奏会だ

最近は家で聴く音楽はてっきり室内楽が多くなっている
ヴァイオリン・ソナタとかピアノ・ソナタとか、弦楽四重奏曲とか
内省的というか独白みたいな音楽が、世界観を大声で訴える音楽よりは
気分にフィットしている

メールで届いたプロモート用のチラシにベートーヴェンの
初期のヴァイオリン・ソナタの演奏会とあったので、
これはいい機会!と、できるだけ早く帰ることを前提に足を運んだ

ベートーヴェンが作り上げた傑作群や精神的境地を後世の時代の我々は
既に知っている
彼の初期の作品を聴くときも、大作曲家のつくった初期の作品は
さてさてどんなものか?といった興味で聴いてしまいがちになる
だが、ベートーヴェンと同じ時代を生きた人たちは
大化けした彼のことを知らないで、眼の前にある音楽を楽しみむしかない
そしてそれを聴いて、この若い作曲家は将来性があるとかないとかを
思いながら聴いたに違いない
そんな気持ちで、自分等も聴くことができるか?
と思いながら聴いてみる

久しぶりの生演奏会だから聴く方もどこか慣れていない
集中しているようでもどこか耳の横を過ぎていく感じ
仕方ない、慣れるしかない、、と集中に努める

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタは演奏者の鈴木理恵子さんが
演奏前に言ったように、緩徐楽章が素晴らしい
その楽章は精神に訴える何かを既にもっている
センチメンタルでもなく、過度に深刻でもなく
どこかジョンレノンの音楽のような味わいがある

作曲家は作品に癖が出てくる
ブルックナーは二拍子、三拍子のあの音型
ショスタコーヴィッチもあのリズム
チャイコフスキーもまたやってるという部分がある

ベートーヴェンも初期のこれらの作品を聴くと
ピアノ協奏曲の一番とかピアノ・ソナタの一番で出てくる
印象的な経過句が耳に入る
やはりその時に頭に残っていたものは、そんなに簡単に頭からは
離れられないのだろうか、、と思ったりした

やはり同じヴァイオリン・ソナタというジャンルでもモーツァルトと
ベートーヴェンは随分違う
力んだところがなく、簡潔に進んでいくモーツァルトと比べて
ベートーヴェンのそれはどこか癖がある
2番のソナタの一楽章の音階的な主題は、モーツァルトだったら
サラッとやっているだろうに、ベートーヴェンはどこか神経に
引っかかるような音を要求している

緩徐楽章も耳に心地よいだけなく、精神に刺激を与えるような
どこか引っかかりがあるような音楽だ

実はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタについてはその全作品を解説したような本がある
それはアランが残した本



1番から10番まで楽譜を混じえながら批評している
耳の良い人たちは、どうやら何々調というだけでそれが表す雰囲気みたいなものを
感じ取ることができるようだ
それは自分にはないので羨ましいが、それでも最近はハ長調とかハ短調はなんとなく
雰囲気は分かるような気がしてきている
そしてハ長調とかハ短調はモーツァルトもベートーヴェンも主題が音階的のもの
が多いのは、調自体がそれを要求しているような気がしている(思い込みか?)

この本は思いのほか難しいので積読状態が続いていたが
これを機会に読破にトライしてみようか

生演奏の良さは、奏者に徐々に気持ちが入って行く様子が見えて
演奏していることと、なっている音が一体化して
こちらに迫ってくる瞬間がなんとも言えないが
昨日も何回かそう言う瞬間が訪れた

話は変わるが映画「眺めの良い部屋」では「ベートーヴェンを弾くような女性」
という言葉で、そうした感性の女性は変わっているとか扱いにくいか
感性豊かな人になるというニュアンスで扱われていたが
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏にトライする鈴木さんは
ちょっと変わっているのだろうか?

聴いてる方は、徐々に奏者鈴木理恵子から人間鈴木理恵子に
好感を持てるようになった気がした



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