パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

便利なツールとしてのTwitter

2011年03月21日 21時20分43秒 | Weblog

今はもうインターネットをブームという人はいない

ここまで盛んになったのは便利この上ないからだが

同じことがTwitterにも言える(Facebookはイマイチわからない)

今度の震災での使われ方は、使っている人には期待以上だったに違いない

もちろんデマやくだらないモノも少なくない

しかし、真摯に何かしようとする人にとっては本当に便利なツールだ

 

ブームはTwitterからFacebookへ、そして別の何かへと

気の早い連中や何にでも最初に飛びつく連中は口にするかもしれない

だがツールはブームではない

便利なものは残る

 

一方自分がダメと予想したのがグルーポン

一見便利そうでも、そのコンセプト自体に品がない

ちょっとしたアイデアを形にしただけの思いつき

このサービスは都会にしか効果は見込めないし

まずは価格ありきの世界では、

どうしても年末年始のお節のトラブルみたいなことが起こる

 

ところでこれから人に必要とされるスキルは

デジタル機器をを上手に扱うというより

情報、言葉を発信する能力のような気がする

それと本物偽物を見抜く能力

(さて自分にはそれらがあるか疑問だが)

 

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原発事故報道

2011年03月16日 20時11分55秒 | Weblog

慎重に最悪の事態を想定して悲観的に見るべきなのか

それとも楽観的に見るべきなのか

さっぱり判断のしようがない今回の原発事故の報道

 

放射能は怖いものだと、訳もわからず大騒ぎしているようにも思えるし

本当に大変な事態なのか(残念ながら多分そうらしい?)

実は誰も正確に把握していないというか

ポイントを理解していないように思えるのが一番いらつくところだ

 

テレビのインタビューは門外漢の集まりで専門的なことを言われても

チンプンカンプン

専門家は専門家で分かりやすい表現よりも正確な表現をしようとするために

話が長くなって却って分かりにくくなっている

おまけに民放、新聞社、それぞれがいろんなコトを言うから話は余計にややこしくなる

 

数字を提示されても一体何を意味して、どの程度大変なのかがイメージできない

定期的な会見を行う枝野氏ですら本当の意味は分かっていなくて

単に事実の報告に終始してしまう有様

 

こういう時は、腹を据えて本質を理解しようと構えるしかない

つまりこの事故は簡単な表現や一言では理解出来ない範疇のものとして理解し

事の本質を他人に説明できるくらい詳しくなることが慌てない秘訣かもしれない

(この説明のページが分かりやすかった)

 

ところで、正直なところ東電の現場の社員の方には頭がさがる

必死でリスクと向かい合いながら戦っているであろう姿を想像すると

どうか何事も無く収束に向かって欲しいと思わざるをえない

 

昨日には東電の社員の方数人が自ら名乗りでて

現場に向かう旨の記事が紹介されていた

その勇気ある人間性、犠牲心に富んだ姿は

とても冷静に読んでいる訳にはいかない

 

世の中には自分の命を省みず

次世代の人のために本当に行動する人がいるのだ

数字の報告ばかりでなく、

こうして命がけで戦っている人の姿も報道すべきなのではないのか

 

民放の記者、アナウンサー、何故ヘルメット被っているのでしょうね

室内スタジオならモノが落下してくるから分からないでもないけど

青空の下でもに合わない格好で被って、、

単なる絵面の問題?

 

民放はあまりにも軽すぎる!

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この震災を見て

2011年03月14日 20時40分11秒 | Weblog

目を覆うような悲惨な現状を知って

楽しみにしていたマチュピチュへの旅行をキャンセルした人がいる

とてもそんな気になれないという

キャンセル料金は20%

でもそんな問題じゃない、それを勿体無いとは思わない、ときっぱり

そしてその人曰く、同じようにキャンセルした人がまだ他にもいるとのこと

行かないことで被災者の人がなにか助かったわけではない

でも役に立たないかもしれないが、被災者の人を同情するのではなく

同じ辛い思いを共有するこうした感情は

とても尊いことだと思う

 

いま人がどれだけの資産を持っているか

どれだけの世間的に認められる地位にいるか

そんなことは実は人間の本当の評価とは関係ないかもしれない

 

ツイッターにもあったが、

ホームレスの人が帰宅困難者にダンボールを渡して

寒さを凌ぐようにしてくれて、普段冷たい目で見ていた自分を恥じたなど

こんな時にしか経験できないようなことも目の当たりにする

 

人間力、今必要とされるのは

いや実は今までも、これからも必要とされるのは人間力であって

金融収集能力ではないはず

 

猛烈な勢いで変わっているインターネットを始めとする世界

そこに必要なのは、それを使いこなす技術、知識ではなく

もっと基本的な人間そのものの感情を含んだ世界

つまり理性の力に隅に追いやられている感情の世界(共感する能力など)を

もう一度日の当たるところに引っ張り出さねばならない

 

人は多分基本的には優しい

だがある時は残酷であったり自己中心的であったりする

その両方持ち主が一人の人格

出来ることなら前者の部分が普段表に出て

それで生活をすることが出来ればいいのだが、、

これはジョン・レノンがかつて歌ったように

単にドリーマーなのだろうか、、、

もしそうであっても、自分はドリーマーでいたい

 

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今日は節電

2011年03月13日 21時14分33秒 | Weblog

電気を消して早く寝ることにしましょう

パチンコ屋さんもテレビ局も深夜族もみんな

グリコを見習っておとなしくしていましょう

 

心配事はいろいろあるけど

明日には明日の風が吹く

 

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国民力が試される時

2011年03月12日 21時39分03秒 | Weblog

未曽有の国難の時(東日本大震災)

試されるのは人間力、共感力、そして国民力

あれこれ悩む暇はなく皆が基本的には一方向に向いていけるから

日本は素早く対応できると期待してしまうが、、、

そうであってほしい

 

話は変わって

今回は中東、アフリカのフェースブック革命に類似した傾向が見られるのではないだろうか

つまりネットの現実的な使用方法

ツイッターはテレビ、ラジオの限られた時間では収まりきれない細かな情報まで

刻々と伝えることが出来ている

(どこで誰が助けをもとめているとか、帰宅できない人の宿泊施設とか、安否の問い合わせとか)

現実的な使用方法を多くの人が実感して

おそらく大きく時代は変わる

 

しかし、変わってほしくないのは一番大事な部分

眠っていた(?)日本人の人間力

大丈夫、、、だよね、きっと

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バルサのピークはいつまで続くか?

2011年03月10日 21時07分20秒 | サッカー

面白いようにパスが繋がり、ポゼッションも圧倒的

まるでプレステのゲームのようと

同業の選手達からも別次元の評価を受けるバルサ

そして見ている方も勝負事というよりは

何か芸術作品を鑑賞しているような気にさせる

乗りに乗ってるメッシがいる、シャビがいる、イニエスタもプジョルも

他にもまだまだ、、、

 

でもこの快進撃がいつまで続くのだろうか?

世の中は盛者必衰が常

バルサだって、きっといつか、、、

それ故に儚く美しい

今のうちにたくさん見ておかなくては!

 

ところでアーセナル戦 

メッシの落ち着いてキーパーをかわしてのシュートも良かったけど

その前のイニエスタのプレーも良かった

イニエスタ、一昨年のチェルシー戦、昨年のワールドカップでの決勝点

もってる男とは彼のこと

でも日本で騒がれるには地味すぎる男かな

 

メディアはもっと彼に注目すべき!

とイニエスタファンの自分は思うのだが、、、

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登り窯、見に行ってきました

2011年03月09日 20時57分12秒 | Weblog

文化教室のカリキュラムの中で断突の人気は陶芸

新年度になっても継続する人が多くて、なかなか新しくは参加できないらしい

傍目にはなにが面白いのか?

と思ってしまうが、一旦コネコネするとハマってしまうものらしい

 

この陶芸に必要なものといえば窯

自分で家庭用のものを購入する人もあれば

どこかの窯で共同で作品を焼く仲間もある

 

自分の田舎の近くにもこんな登り窯があった(新城市 JR飯田線 柿平駅傍)

まさに登窯、段々に登っている↑

そして最近新しいものもできた、先日(8日)火入れを行って

今も火を絶やさず窯に付きっきり↓(アメリカの陶芸家)

できた作品は無造作に飾られていた↓(新しい窯のものはまだ出来上がっていない)

田舎の山の中だから燃料(材木)には困らないようだ↓

年取った(?)ワンコも出迎えてくれた(防犯用にはならないけど)↓

趣味の世界!と言ってしまえばそれまでだが

その趣味の世界に(今携わっている人はプロだけれど)

目一杯真剣になることができるのは、目一杯お金儲けに必死になるより優雅

(もっともそのための経済基盤は必要だけれど)

 

それにしても、リタイア世代の人たち

男の連中が心配(自分もそうだが)

女性陣は近所の付き合い等で何がしか仲間がいるけれど

男どもは会社を離れると一気に交際範囲が無くなってしまう

これで趣味もない、なんてことになったら、、、うーーん、大変だ

(自分も他人事じゃないけど)

 

 

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シューマンとヴォルフ

2011年03月07日 21時00分16秒 | 音楽

フィッシャー・ディスカウの歌うシューマンの歌曲集のレコード

まだ少ししか聴いていないが、フト思うのは

ヴォルフを彷彿とさせるということ

ピアノの前奏とか後奏、また歌との絡み合いは

ヴォルフの前身そのもの

 

シューマン 詩人の恋から「美しい5月に」

この溶けいる様な響きはどうだ

ヴォルフは「ガニュメート」

バレンボイムとディスカウの組み合わせのもの最高

ほんとうっとりしてしまう

 

どちらも詩自体はほとんで無頓着に聴いているけれど

ホント、いいなあ

今日はネタ切れ、思いつくまま、お気楽に投稿!

 

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中古レコード (ジャズ)

2011年03月06日 20時14分43秒 | Weblog

ジャズはレコードの方が良い

というのは分かる気がする

生の楽器、電気を通して増幅する物でない楽器群は

(アコースティックのもの)

確かにそのリアリティーはレコードの方がずっと高い

 

ロックのように最初から電気を通す前提のものは

CDでもいいかもしれない

メリハリの効いた切れ味の鋭い音なんかは

レコードよりその醍醐味を味わえるかもしれない

 

でも最近聞くのはクラシックかジャズばかり

ということで必然的にレコードに目が行く

 

先日の中古レコード購入のための名古屋行き

ジャズのほうで購入したのは

セロニアス・モンク「ロンリー・モンク」

         「Monk's Blues」

マイルス・デイビス「Miles Ahead」

         「FOUR & MORE」

         「The MAN WITH THE HORN」

まだ「ロンリー・モンク」の片面と「Miles Ahead」の片面を聴いただけ

 

モンクはジョン・リー・フッカーみたいにワンパターンぽいなあ

が聞き流したときの感想

マイルスは「ラウンド・ミッドナイト」がいい曲というか好み

あとは後々のお楽しみ

 

実はジャズを興味を持って聴き始めたのはそんなに古くはない

前から少しは持っていたが、改めて聴きこもうとしたのはアンプをC&Rの真空管に

フォノイコライザーをEAR834Pに

プレーヤーをノッティンガムにした時から

それだけ音響機器の性能によって印象が変わるということで

まるで病気のように機器にお金を費やすのも分からないでもない

 

レコードはこれからは絶対量が増えるわけではないので

今のうちに大人買いして(?)

そこそこ集めておこうかな

ジャズとクラシック盤を

 

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グルダの音

2011年03月05日 21時14分52秒 | 音楽

「結構好きかも!」

以前NHKFMでグルダの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いたときの印象

 

そんな記憶があったから先日名古屋に中古レコードを買いに出かけて

グルダのベートーヴェンピアノ協奏曲全集(シュタイン指揮 ウィーン・フィル)が

とんでもないやすさで販売されているのを見つけたときは

ラッキー!これは自分が買わなくてはいけない運命!

みたいな気持ちで即購入

 

この日は他に

ディスカウとエッシェンバッハの組み合わせでシューマン歌曲集全集(2)

カラヤン指揮 フィルハーモニアでリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」

のセット物を購入

 

ところでグルダの音は、もう一度聴いてみたい気持ちにさせる音

名前がにているグールドは、才気ばしっててもあまりにも自分の世界に入りすぎて

他人に聴かせる意識がない様に感じられて

頻繁に聞く気にはなれない

この人(グールド)が演奏会をやめてレコード録音だけの活動にしたのは

聴衆抜きの音楽に向かうためかもしれないが

そもそも、聴く人なしに自分のためだけの音楽ってどうなんだろう?

いろんな捉え方があるのはいいけれど、自分はパスだな

 

このグールドと同じ印象を持つのがコルトレーン

耳が慣れていないだけかもしれないがこの人も自分の世界に入りすぎて

なんか取っ付きにくい

まだマイルスの緊張感のある音のほうが聴く気になれる

(単なる趣味の問題だろうけど)

 

話は戻って

イエルク・デムス、パウル・バドゥラスコダ、そしてグルダがウィーン3羽ガラス

だったと思うけれど

前の二人は聴いたことあるはずだが(もちろん録音のもの)あまり印象にない

しかしグルダは、今度東京へ行って中古レコードショップで彼の演奏のものを見つけたら

無条件で手に入れてみようという気にさせる

 

さて、そんなレコードがそもそも存在するかは知らないけれど

 

 

 

 

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