パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

原発事故報道

2011年03月16日 20時11分55秒 | Weblog

慎重に最悪の事態を想定して悲観的に見るべきなのか

それとも楽観的に見るべきなのか

さっぱり判断のしようがない今回の原発事故の報道

 

放射能は怖いものだと、訳もわからず大騒ぎしているようにも思えるし

本当に大変な事態なのか(残念ながら多分そうらしい?)

実は誰も正確に把握していないというか

ポイントを理解していないように思えるのが一番いらつくところだ

 

テレビのインタビューは門外漢の集まりで専門的なことを言われても

チンプンカンプン

専門家は専門家で分かりやすい表現よりも正確な表現をしようとするために

話が長くなって却って分かりにくくなっている

おまけに民放、新聞社、それぞれがいろんなコトを言うから話は余計にややこしくなる

 

数字を提示されても一体何を意味して、どの程度大変なのかがイメージできない

定期的な会見を行う枝野氏ですら本当の意味は分かっていなくて

単に事実の報告に終始してしまう有様

 

こういう時は、腹を据えて本質を理解しようと構えるしかない

つまりこの事故は簡単な表現や一言では理解出来ない範疇のものとして理解し

事の本質を他人に説明できるくらい詳しくなることが慌てない秘訣かもしれない

(この説明のページが分かりやすかった)

 

ところで、正直なところ東電の現場の社員の方には頭がさがる

必死でリスクと向かい合いながら戦っているであろう姿を想像すると

どうか何事も無く収束に向かって欲しいと思わざるをえない

 

昨日には東電の社員の方数人が自ら名乗りでて

現場に向かう旨の記事が紹介されていた

その勇気ある人間性、犠牲心に富んだ姿は

とても冷静に読んでいる訳にはいかない

 

世の中には自分の命を省みず

次世代の人のために本当に行動する人がいるのだ

数字の報告ばかりでなく、

こうして命がけで戦っている人の姿も報道すべきなのではないのか

 

民放の記者、アナウンサー、何故ヘルメット被っているのでしょうね

室内スタジオならモノが落下してくるから分からないでもないけど

青空の下でもに合わない格好で被って、、

単なる絵面の問題?

 

民放はあまりにも軽すぎる!

コメント
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