パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ゴッホ展 名古屋「こうして私はゴッホになった」

2011年03月02日 21時19分15秒 | Weblog

死ぬまでに見ておきたい絵画がある

ボッティチェリの「春」と「ビーナス誕生」

もうひとつはゴッホの 「荒れ模様の空に烏の群れ飛ぶ麦畑」


 後者は美しいとかいう範疇を超えて凄まじい迫力の絵画で

ゴッホ全集で知った時から気になっていた作品

誰かが「本物を見ると迫力がありすぎて絵画としてのバランスが悪い」

とか言っていたのを思い出す


確かにそうかも知れない、と思わないでもない

というのは昔ミュンヘンのノイエピナコテークで「ひまわり」を見たとき

それこそ異様な迫力、まるで茎、葉がニョキニョキと伸びて

画面からはみ出しそうな気持ちにさせられたからだ

それは精神のバランスが崩れる直前のあがきみたいに思えた

(その印象が当たっているかどうかは知らないが、確かにその時そう感じた)

 

今名古屋でゴッホ展をやっていて、仕事が休みの今日その毒気にあたりに行ってきた

会場は当然県美術館と思っていたが、

あらら、芸術劇場にはゴッホの文字もポスターも、なんにもない

あるのはカディンスキーの云々のポスターだけ

急いでスマートフォンで調べると会場は名古屋市美術館

 

それで昼ごはんを食べて、

ゆっくりと買い物してから会場に向かった

 

この展示会はゴッホの個人展ではなく

同時代の作家の作品も展示されていた

ゴッホが影響を受けた人、そして初期の作品が並んでおり

まさに「ゴッホになった」経過が紹介されている

 

ここでもやはりゴッホは何かが違う

「掘る人」 ミレーを手本に描いていたが、手本よりリアリティーがある

力を入れてまさにスコップを土に突き刺そうとしているし

もう一人の人物は土を寄せようとしている

その力感はまさにそこに人がいそうな感じ

つまりミレーは写真の様なある場面の瞬間を切り取ったように見えるが

ゴッホは動きがある、シーンだけを切り取ったのではなく

絵画の上で時間が経過しているような気がする

 

そんなふうに見ていくと彼の作品は

画面上に時間を感じる

「曇り空のしたの積み藁」

向こうからこっちにやってくる

そのくらいのことは誰でもやりそうでも

何かが違う(才能の違いというしかない?)

この作品はまだまだ狂気が発揮されているわけじゃない

結構好きかな

 

「サン・レミ療養院の庭」

この二つ作品の絵葉書が帰りに記念に求めた物

 

ところで死ぬまでに見ておきたい例の作品

果たして見られるか?

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする