パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

男が歌う「女の歌」 日本だけか、それとも世界にあふれているか?

2012年05月11日 21時00分15秒 | Weblog

通勤途中の車の中
聞こえてきたのは「やさしく歌って」
でもロバータ・フラックじゃない、男の声
急いでCDケースを確認するとペリー・コモとある

なかなかあっさり系でいい感じ
こんなのもありかな!といったところだが
途中であれっ!と思ったところが一箇所

killing me softly with his song
というところが
killing me softly with her song
となっていた

男が歌うからそんなものか
と思ったが、そこで少し考えてしまった

日本の歌なら、女の立場で男が歌う場合が
割合多くみられる
イルカの歌う「なごり雪」はその反対だけれど
とにかく男女が別の性の心情を歌うのも
多少の恥ずかしさはあっても
あまり違和感を感じないでいられる

ところで、この優しく歌って
日本なら男だろうが女だろうが
killing me softly with his song
と歌ってしまいそうだが
英語圏の人々はちゃんとhisとherを使い分けている

そういえばビールトルズの
I saw her standing there
も女性が歌うと
I saw him standing there
となっていたし
and I love her

and I love him
となっている

ネイティブの人たちはどんな気持ちで
別の性の持ち歌を歌ったりしているか
一度感想を聴いてみたいものだ
何故か日本の感情移入たっぷりの感じとは違う気がする

歌詞にかぎらずメロディーにも男っぽいもの、
女にふさわしいものがありそうな気がする
ニルソンのwithout youなどは男じゃないほうが
メロディー自体は自然なような気がするが
もっとも、これは単なる思い込みか?

それにしても、日本は話し言葉にも
男用と女用が存在する
最近は女の子も荒っぽい男言葉を使うようになっているけど
それは格好いいと言うよりは勿体無い
折角の魅力を自ら放棄しているようで

またまた話はそれたが
男が女の、女が男の心情を歌うということは
世界的にはありふれたことなのか
ちょっと興味を持ってしまった




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官僚の作成した文章には超訳が必要

2012年05月10日 20時26分09秒 | Weblog

一般的に官庁関連の文章は分かりにくい
まず句読点が少なく、やたらと長い文章が続く
そして文章の正確さを求めるあまり、話が回りくどくなり
先に述べられた内容が忘れられがちになる

 

以下は食育基本法の一部

  第三章 基本的施策

 

(家庭における食育の推進)
第十九条  国及び地方公共団体は、父母その他の保護者及び子どもの食に対する関心及び理解を深め、健全な食習慣の確立に資するよう、親子で参加する料理教室その他 の食事についての望ましい習慣を学びながら食を楽しむ機会の提供、健康美に関する知識の啓発その他の適切な栄養管理に関する知識の普及及び情報の提供、妊 産婦に対する栄養指導又は乳幼児をはじめとする子どもを対象とする発達段階に応じた栄養指導その他の家庭における食育の推進を支援するために必要な施策を 講ずるものとする。

 

(学校、保育所等における食育の推進)
第二十条  国及び地方公共団体は、学校、保育所等において魅力ある食育の推進に関する活動を効果的に促進することにより子どもの健全な食生活の実現及び健全な心身 の成長が図られるよう、学校、保育所等における食育の推進のための指針の作成に関する支援、食育の指導にふさわしい教職員の設置及び指導的立場にある者の 食育の推進において果たすべき役割についての意識の啓発その他の食育に関する指導体制の整備、学校、保育所等又は地域の特色を生かした学校給食等の実施、 教育の一環として行われる農場等における実習、食品の調理、食品廃棄物の再生利用等様々な体験活動を通じた子どもの食に関する理解の促進、過度の痩身又は 肥満の心身の健康に及ぼす影響等についての知識の啓発その他必要な施策を講ずるものとする。
 
これらを読んでみれば、なるほどごもっともと言えないことはない
しかし、残念ながら読む気にはなれない
それは読む人のリズム・呼吸・理解力を前提において作成された文章ではなくて
単に正確さを追求しただけに終わっているから(ではないか)
 
作成した人から言わせれば、理解できないほうが悪い
ということになるのだろうが
そもそも書かれた文章が理解されなくて、いや多くの人に共有されなくて
役割を果たしているといえるのだろうか
 
そこで思うのは、官僚の作成した文章は、一旦、広告作成のプロ
コピーライターに書きなおしてもらったらどうだろう
彼らは人に伝わってなんぼ!の世界で生きているから
もう少しわかり易い表現になるのではないか!
 
つまり、官僚の作成した文章の超訳というわけだ
 
もっともその際には正確さは少し欠くことになるかもしれない
しかし、わかりづらいより、読む気が起きないよりは
ずっとマシなような気がする
 
分かりにくい文章・システムを継続して得をしている人が
どこかにいるのかもしれない
これらの文章に堪能な人を専門家といえるかもしれないが
しかし、こんなことに専門的な技術とは言ってほしくないものだ
 
もっとわかりやすい文章を書く技術
伝える能力こそコピーライターならずとも
官僚にも政治家(?)にも必要な専門的な技術
と言えそうな気がするが
伝わるかどうかを考える人なんて、いないかな!
お役所には

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傘がない

2012年05月09日 21時06分10秒 | Weblog

井上陽水の歌ではなく、今日の自分の傘の話

昼は雨が降っていたが夕方になると青空も見えて
こういう時はつい傘を忘れてしまう

残念ながら例に漏れず、
あるはずの車の中には、、、
傘がない

どこに忘れたのか?
と思うより先に
また怒られてしまう
と浮かんだ自分が少し情けない

傘は今まで何本無くしただろう
高校の通学中の電車で忘れたのが最初
(何故だか知らないがこれが最初だった記憶がある)

それから先は、いちいち思い出せないほど
今ではコンビニで290円ほどの物を
必要に応じて購入したりするが
ちょっともったいない

ある人が、高価な傘を購入すれば
絶対忘れないようになる、と口にしたが
自分はこの方法では絶対ダメだ
自信ない

それにしてもこれから先、何本傘をなくすのだろう?

そういえば同様に紛失するのがボールペン
何かのタイミングで人に貸したりすると
もう駄目だ
貸したことなどすっかり忘れている

こういうことはこれから多くなることはあっても
少なくなることはないだろう
そのたびに怒られそう
と思ってしまうに違いないが
とりあえずは黙りを決め込んで対処しよう

ほんと情けない

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ジャズは最適のBGMか?

2012年05月07日 21時24分18秒 | Weblog

聖歌は単旋律にすべし
そうもしないと、響き自体に心奪われて
教義が伝わらなくなる恐れがある
と決めつけた人がいたが
その良し悪しは別として、わからない話ではない

確かに豊かなハーモニー・生き生きとしたリズムは
ボーカル部分がなくても充分に楽しむことができる

この心奪われる音楽
その音楽は家具のように、または環境音のように扱われ
巷ではBGMとしてオフィス・家庭で有線という形で
流されている

最近のヒット曲や流行の歌は
その時代の雰囲気を感じられてそれはそれで
いいと思うのだけれど
何か音がないと寂しいとなどと、
おまけのように扱われる音楽は
なまじっか自分の知らない曲のほうがいいことが多い

先日オフィスでクラシック音楽が流れていた
軽やかに流れるモーツァルト
聞き流してもいいけれど、ちょっと真面目に聴こうとすると
その演奏の善し悪し・ニュアンスが気になって
とても聴き流すことなどできなくなってしまった

またベートーヴェンの7番のシンフォニーが流れていた時などは
人と話していても、その音楽の雄弁さというか話しかけてくる
圧倒的な力に負けてとても会話に集中できなかった

ということで、BGMには一見ムーディーなジャズがいいかな
と思ってみたが、考えてみればジャズは演奏自体が勝負の音楽
感情表現・ニュアンスそうしたものが実はクラシック音楽よりも
雄弁に語りかけてくるのかもしれない
そのように聞こえないのは単に耳がまだその音楽に慣れていないだけのこと
慣れてしまえば音楽は音楽の用語の中で
雄弁に人の心の中に語りかける

確かにマイルスやモンク・キース・ジャレット等の音楽は
聴き流すよりきっちり聴いたほうが満足感は大きい

つまり聴き流すことの出来る音楽は
自分に関心のない分野の曲、耳ができていない方面の曲ということになる

慣れない耳には、バッハは人間の命のリズムを刻んで
まさに音楽の父にふさわしい音楽
といったような評価かも知れないが少し聴きこんだ耳には
バッハは理屈っぽすぎる、精緻過ぎる、リズムが機械的過ぎる
となりモーツァルトは感情表現のニュアンスがコロコロ変わりすぎて
ついていけないし
ベートヴェンは精神をどこか緊張させる
といった風に感じることもある

何にでも言えそうなことだけれど
知らないということは、一見(一聴)しただけで得る情報量が少ない
それがために心までメッセージが伝わらず
表面的な処理で終えることができる
それが音楽の場合には快適と感じるのかもしれない

しかし、聞き流して心地よくなるのもありだけど
聴きこんで会話・意味・内容を吟味できるようになるのは
もっと楽しいことのように思えるのだが、、

知っている曲でも心を惹きつけない
聴き流すことのできる演奏というものもあるが
と言うことは、曲自体より問題は演奏なのだろうか
ま、どっちでもいいことかもしれないが、、

 

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ハイティンク指揮のブルックナー8番

2012年05月06日 11時34分27秒 | 音楽

多分一番多く聴いているシンフォニー
その中でも抜き出して聴き比べの対象としているのが
ブルックナー8番 第3楽章

始まって数分間は何も事件は起こらない
モーツァルトならシンフォニー全体が終わってしまいそうな
時間の中でブルックナーの音楽は、音響がただ流れていくだけ
しかし、聴き終わった後は何かものすごい経験をしたような
印象が残る

この大好きな楽章
ハイティンクの指揮の物を聴いた

オーケストラはアムステルダム・コンセルトヘボウ

この演奏、何十年も前に聴いただけ
というのは自分のCDではなく義兄のものでだったから
その時、自分ごのみの音楽だなと感じたことを覚えている

さて聴き直してその印象は変わらない
何故かと考えてみた
まず音が柔らかい
輝きはないかもしれないが刺激的な音はない
録音のせいか指揮のせいかオーケストラのせいか
はたまた録音場所のせいか
そこでライナーノーツをみると
アムステルダム・コンセルトヘボウでの録音とある
音響が素晴らしいホールのひとつとしてあげられているが
思わず納得してしまう

演奏はゆっくり大きな呼吸で
チェリビダッケほど不自然な遅さではない
時折音形自体は進みたがっていても
クナッパーツブッシュみたいに力ずくで押さえている感じもしない
ただ音響に任せて

この曲のクライマックス一つには
何小節かのカットとあるものとないものがあるが
カットがないほうが良いかなと思いつつ
聴いていたら、やっぱりカットはなくて
ブルックナーの突然のピアノの効果は
全然不自然ではなかった

しかし、この柔らかい音
本当に好きだな
ギュンター・ヴァントの北ドイツ放送交響楽団での
生を聴いた時も柔らかい音色で音が心地よく
ブレンドされていたのも思い出す

確かに効果的な演奏ではないかもしれない
でも作曲家を信じて、音楽を信じて
ひたむきに向かっている感じが感じられる

最近ではティーレマンがブルックナー指揮者で
進境著しいらしいが残念ながら自分はまだ聴いていない
でもドイツ系の音楽家は無闇に派手な音を出さないから
気に入るかもしれない

それにしてもハイティンクのブルックナー
冴えないゴールデンウィークを救ってくれたようで
ありがたい

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散々なゴールデンウィーク

2012年05月06日 09時51分35秒 | Weblog

9連休のはずだった
これだけあれば予定は立ててなくても
2.3日はなにか有意義な時間を過ごせるだろうと思ったのだが、、

4/28 初日は最近の体調不良を確認の意味で医者へ
特に目立った数字は見られないけれども
一応心臓用のニトロを
その後で延び延びになっていた豊橋のお墓掃除と
母の誕生日用の食事会

4/29 翌日は区の仕事のデータ整理
2000軒以上の居住の変化をチェック
手伝ってもらっても約一日係っきり

4/30 やっと時間を取って京都に
松尾大社と法金剛寺
久々のハズレ

5/1 誕生日だったメイデーは年金の手配で
市役所・郵便局・年金事務所へ

5/2 翌日は特に何もしないが夕方に
区の会議

5/3 区の書類の前の日に不確かなところを
昨年の担当者に来ていただいて説明を受け今年度の案を作成
ここでぎっくり腰の再発
姉の家族が来客 腰が痛いのを我慢して応対

5/4 安静にするしか方法のないぎっくり腰
ベッドからでてひる昼ごはんの際
余震のような発作が
半端じゃない衝撃、脂汗、血圧低下
安静にするしかない
高樹のぶ子の「マルセル」読了

5/5 とうとう痛みに耐えかねて鎮痛剤の購入
薬の効果はあるものだと確認
しかし、治っているわけではないので
素直に喜べない

5/6 何もしないうちに9日目
本当になにもしなかった
できなかった
ここまで何もできない連休は予想していなかった
参った参った

座って音楽を聴く気にも慣れず
ただ時間の経過を待つだけ
こんな連休は金輪際にして欲しいと思うのだが
気をつけないとまたしでかしてしまうかも

ホント参った参った

 

 

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京都あれこれ

2012年05月01日 20時00分29秒 | 旅・旅行

人並みにゴールデンウィークはどこかに行かなくては
と思った訳ではないが
それでも何かに急かされて、今年2回目の京都へ

目的地は決めていない
平清盛がらみで六波羅蜜寺、あるいは待賢門院がらみで法金剛寺
それとも、、

結局行ったのはJRの運賃がギリギリまでのばせる嵐山
しかし、賑やかな方ではなく
少し静かな方へ

途中、天竜寺の塀で見かけたのは

渡月橋はやっぱりきれいなフォルムの橋
向こうに見える山々も雰囲気がある

橋を渡って訪れたのは松尾大社
目に入ったのは舞殿

下賀茂神社にも見られたこの建物
神社にはつきものなのか
調べてみると神楽を演ずる場所と言う事らしい

まずはこのあたりまではまずまずの旅
しかしこの後がイマイチだった

というのは500円を払ってみた庭に少し失望感を感じてしまったから
正確に言えば庭に失望したのではなくて
庭を取り囲む建物に、その作りようにガッカリしたというのが
本当のところ
建物自体はコンクリート製で何か貧相でチープな感じ
一旦そんな風に思うとそれから先は冷静に見られない
マイナス点ばっかりが気になって楽しむ事はできず

木造の建物は建築に費用がかかるかもしれないが
ここは頑張って木造で造ってほしかったな

その他にも案内看板が、無神経に美しくなく
存在感ありすぎに掲げられたり
なにやら雰囲気ぶっ壊し

写真を撮るにも看板を外して
大事なところを入れるには苦労してしまう

こういうところはなるべく自然の素材ものを使ってほしいものだ
ロープも麻、杭もコンクリート製でなく本当の木製にして
看板も墨の文字でとか、、
ホント、もう少し自分たちの売りを大事にしてほしいな

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