より速く、より高く、より強く
オリンピックでよく使われた懐かしい言葉
だが最近のオリンピックはこれでカバーしきれない競技が多い
綱引きがあったとされるおおらかな時代を経て
良くも考えついたものだと思われる本当にいろんな競技がうまれるものだ
人は呆れるほどいろんな遊ぶ方法を考えつく(発明する)が
同時にそこには明らかな勝ち負けの世界がある
サッカーのコーチをしていた時、子供たちは何でも勝ちたいという気持ちに溢れていた
順番を決めるじゃんけんでも負けるのを嫌がっていた
何でも勝ちたいという素朴な気持ち
なんにでも賭けの対象にしてしまうイギリス人
これらは人の持っている本能なのだろうか
これらは人の業(ごう)なのだろうか
資本主義がなかば必然的のように格差を生み出すのは
制度そのものというよりは人間に内在する業のせいではないか
と最近は思えてならない
人が人を支配する世の中は、理想は永久に理想という形でしか
存在し得ないかもしれないと思えて仕方ない
もしかしたら、これらを深く考えたと思われる仏教は
大したものかもしれないと思ったりする
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