国の違いと言ってしまえば、そこで終わってしまうが
政治の世界(選挙制度)はスタンダードはなさそうだ
アメリカではハリス氏の選挙資金の寄付が数日で何百億円集まったとか
報道されていた
寄付をした人は、当然のことながら選挙に必死になるだろうと思う
それが僅かでも、応援する人の当落は気になるのが普通で
自ずと選挙は白熱化する
一方、日本では、パーティ券という名の実質的には寄付の行為は
あまり大ぴらにしたくないことのようで
更には芸能人が人として自然発生的に身につけた感覚による支持する人は
与党よりならあまり問題はないが、野党系となると何故か
そう言うことに口を出すな!といった雰囲気で忖度を要求される
政治に無関心の人はいても、政治に無関係な人はいない
とよく言われるが、これが日本ではあまり広がっていないのが残念だ
ところで、日本の社会では「批判ばかりするな!」
という意見がそれなりの存在感を持っている
ならば、批判ばかりするな!と言い続けている人たちは
トランプさんの批判ばかりどころかネガティブな独断によるキャンペーンを
どう思っているのだろう
前回のアメリカ大統領選では、日本のトランプ応援団は
不思議なことに現政権寄りの人達が多かった(もっと露骨に言えば安倍さん寄り)
彼らはディープステートとかQアノンの考えに染まって
選挙自体も不正が行われていたとSNSで拡散に協力していた
どうも彼らは日本国内では「批判ばかりするな!」と言い
アメリカでは「批判ばかりをしているトランプさん」を応援する
このダブルスタンダードの使い分けを平気で行えるのが
彼らという存在だが、肝心なのは現在の日本という社会が
どの立場にあるか、、という点だと思われる
報道の自由度の世界比較は年々ランクを下げている
確かに記者クラブの限定された質問とか予め通告を要求されたりで
答えもプロンプターを読むことに終止しているし、難しい問題には
ピントを外した答弁を繰り返している
現在プロパガンダによって、自分たちが思っているより
考え方自体がある方向に導かれているかもしれない
と考える人や、こうした異様さに気づく人はまだ少ない
ここ一週間、テレビ番組はオリンピック一色だ
これは本当に気持ちが悪い
異常だと自分の中の何かが囁いているが
情報の受け身ばかりになれてしまった人々は
何かを自分で考えることができなくなっているのではないか?
と不安になってしまう
敢えてオリンピックの話題は避けている