パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

偽書はなぜ存在するのだろう?

2024年09月21日 09時17分30秒 | あれこれ考えること

今年購入した書籍代は約40,000円
最近Amazonに注文したのは、「ニギハヤヒと先代旧事本紀 物部氏の祖神」
もう一つは「江戸の憲法構想」
相変わらず奇妙な本が選ばれている

先代旧事本紀は古事記と似たようなエピソードがあるらしい
(まだ読んでいないからはっきりはわからないが)
ニニギよりも先にニギハヤヒが岩の船に乗って天から降りた
との記述があるようで、物部氏の謂れ等が書かれているらしい

ところがこれは偽書との説があるし、それが定説になっているらしい
でもまるっきりの嘘ばかりでは無いのではないか?
何らかの真実が含まれていると考える人達もいるようだ

古事記にしても全部が全部正確なことばかり書かれているとは限らない
乙巳の変で甘樫丘の蘇我蝦夷の家が焼けてしまって
それまでの歴史の資料は灰になってしまったらしい

そこで天武天皇が古事記と日本書紀の編纂を命じて
それが正式な歴史書となったのだが
勝者の都合の良いばかりの記述では、過去を知っている人間たちにとっては
都合良すぎると批判的な目もあったようで
例えば、出雲の神が奈良で祀られているの何故かと問題提起されている

歴史家とか学者のように丁寧に読んだり考えたわけではないので
つまりはいい加減な知識に過ぎないが、それでも世の中には偽書の類は
どこでもどの時代での必要不可欠のように存在するようだ

偽書として有名なのが「シオン賢者の議定書」
これははユダヤ人が世界制覇を企んでいるとする(?)内容で
ドイツがユダヤ人を大量虐殺に至った理由の一つでもある
確か「薔薇の名前」の著者ウンベルト・エーコが「プラハの墓地」で取り上げたのは
この偽書を作成した人の物語だったようだが、
これは読みかけて途中で討ち死にしてしまった

偽書は今風の表現ではフェイクになるのだろうか
最近ではQアノンとかディープステイトなどが怪しげな話になっているが
実は、自分もちょいと染まりそうになったことは出来事はあった
もっとも陰謀説までは思い寄らなかったが、
なんだか変だなとの違和感が残ったのは9.11同時多発テロのWTCビル2棟
と近くの第7ビルの崩れ落ちるような解体映像だった

特に飛行機がぶつかったわけでもないのに、第7ビルはなぜ崩れてしまったのか
きちんとした科学的な説明が欲しかったが、いまでも曖昧なままになっている
(丁寧に探せばその物理的な理由は明らかにされているかも知れない)

物語は現実よりも人の心を刺激するのかもしれない
ベルクソンは「作話機能」が人には備わっているとした
トーマス・マンは物語をつくる人間どもは詐欺師だとの認識を口にした
清少納言はリアルな出来事ではなく、定子のサロンの楽しい思い出を残した

結局のところ、人様のすることはよくわからん、といったところだろうか

ところで「江戸の憲法構想」は明治維新で全否定されたような江戸時代は
そんなに酷かったのだろうか?との疑問から1度読んでみようという気になった

ところで、今年はビールを経験したことのないほど飲んだが
年始から今までお酒に費やした金額をざっと計算してみると38000円強だった
書籍代とほとんど一緒だ
自分の生活はこんなものだと、少し笑えてきた




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待ちに待った9月なのに

2024年09月20日 07時58分47秒 | 徒然なるままに

なんという9月だ
クソ暑さは10日以上続いている
いつもの道にまだ彼岸花は咲いていない
虫の声もあまり聞けていない
昨年は史上最高の暑い夏だったとの声があったが
今年はそれを上回ることになるだろう

9月になれば、、と歌う曲があった
TULIP セプテンバー

チューリップのセプテンバーだ
少なくとも、今のこの暑い気候を想像はできない

9月になれば運動会があって、玉入れ競技が終わって
片付けをみんなで行って、家に帰ってお風呂に入った時
フト夏が行ってしまう、、半袖の服ともおさらばと
寂しい思いをしたものだった

9月の曲は太田裕美の「九月の雨」も好きな曲だった
筒美京平の作らしい少しメランコリーな味わいの曲
九月の雨 太田 裕美 September Rain Hiromi Ota

懐かしいし、いいなあ2曲とも

ところで、これらの曲は自分にとっては懐メロに当たるが
これと比べると最近の歌は、、、と言いたくなってしまう

歌い手さんの見せ方は今のほうが高度だと思うが
音楽自体は質は高くなっているのだろうか

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夏バテか

2024年09月19日 09時02分33秒 | ダイアリー

夏は何もしなくてもエネルギーを使う
エアコンをつけてホッとする時、それまでに必死に体を護るために
汗を出したり、根性で我慢したりしていたことを実感する

夏バテのでてくる頃だ
その症状は人によって違うが、めまいもあるそうだ
昨日の朝、朝食前に急にめまいのようなものを感じた

昔、槍ヶ岳に登った時に経験したようないきなりのエネルギー切れ
かと思えた、なんとなく感じは似ていた
食事の前に急いでチーズを一欠片口に入れたが、あのときのように回復はしなかった

結局、朝のルーティン(掃除、風呂桶の掃除)は省いて
とりあえず横になることにした
と言っても、朝から暑いから寝る場所がない

ところが不思議なことに、体の感覚は
比較的暑い部屋でもなんだか涼しくて(というよりいくらか寒い感じで)
じっと寝ることに集中できた
それは更に暑い2階の部屋に行っても同じようだった

合計、2時間ちょっと、、体が欲したのか眠りの時間がとれた
睡眠は本当に効果がある
なんとなく回復した感じ
でも食欲はわかず、昼はおかゆで済ませた

さて今朝は、4時まで一気寝してなんとなく気持ちがいい
どうやら夏バテはあれで収まったのだろうか

今年はクソ暑い
怒りを覚えるほどだ
この暑さのせいか?テレビ画面が色がずれて二重に見える
リセットしても回復しない
購入して10年近く、巷でいわれる〇〇スイッチが入って
お役目御免となったのだろうか

何事も無いようでも毎日はなにかしら起きる
その些細な事柄を、がっかりしたり、不安を覚えたり、笑ったり、怒ったり
そうして時は過ぎていく
このように時々、感傷的になりがちだが、今をありがたいと思うことにしている

それにしても、今年は暑い
9月半ば過ぎというのに、、この暑さ
怒る先はわからないが、つい腹を立ててしまう

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知ってる人と知らない人では、楽しむレベルが違う

2024年09月17日 08時13分23秒 | あれこれ考えること

大河ドラマ「光る君へ」ではいつの間にか道長はまひろを「お前」と
呼ぶようになっていると、少し前、女性の間では(SNSで)話題になっていた
言われてみればそうか!
と思ったが、気がつくところは男女差はあるものだ

昨年の大河ドラマと比べると、つくりの丁寧さ、上質感が違う今年「光る君へ」
女の最強の武器は涙!の言葉があるが、一条天皇もついに情が動かされた
道長にとってはやれやれという展開だが(史実もそうなっている)

ところで、このドラマではとてもいい人の道長が、史実では彰子が男の子を産んでから
定子の産んだ敦康親王を邪険に扱うようになるとあるが、その理由を想像して
SNSに投稿した人がいたが、それがとても面白かった

彼女の想像によれば、道長は光源氏と藤壺の不倫の物語を読んで
(ドラマでは不義の子の会話が二人の間に思わせぶりにあった)
現実世界の敦康親王と彰子との間にも
同じようなことが起きるのではないかと不安に思ったから
それを避けるためにそうしたのではないか、、としていた
(源氏物語では藤壺が光源氏の子供の頃は育てていたし
ドラマでは彰子が敦康親王を優しくかまっている)

これを読んでなるほど!
と納得したが、こうして想像を広げるのはなかなか楽しいものだ

もう少し想像を羽ばたかせると、定子と彰子の関係は(何かで読んだと記憶しているが)
親同士の関係とは違って結構仲が良かったらしい
年齢も定子のほうが上で、かわいいいとこをかまっていたとか、、
それは彰子と敦康親王の仲の良い関係に影響を与えている気がする
彰子は定子から優しくされていたことを覚えていて
今度は自分が甥っ子を優しくしようとした
そんなところではないか、、と想像する

ということで、ドラマはいろいろ想像することが楽しいが
今回のドラマは源氏物語を読んだことのある人とない人では
楽しむ質が違う気がする

何事も、よく知ることは、より楽しむ元になりうる
ホント、数年前に「源氏物語」を読んでおいて良かった



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文化会館の「ランチタイムコンサート」

2024年09月16日 09時35分59秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

エアコンのない部屋で夏はレコード・CDを聴くことはない
理由があって長い時間、家を空けるわけにはいかないので
名古屋にコンサートに行くこともない

ちょいと音楽に飢えていたが、先週の土曜日、生の音楽に触れる機会があった

「ランチタイムコンサート」と名付けられたヴァイオリンとピアノの演奏会で
場所は近くの文化会館、ありがたいことに無料
プログラムはに2.3は知っている曲が入っている

用意された椅子席はほとんど満席、後ろのほうで聴いていた人もいるようだった
せっかくだから前から2番目の右寄りの席に座った
後ろを振り返ると、見た顔が何人か見える
こうしたイベントに来る人は、何でも首を突っ込む人なのだろうか

久しぶりの生の音 久しぶりだから演奏に集中する
ヴァイオリンってこんな音なんだ
そんな素朴な思いに浸る

生の演奏の時には、勝手に浮かんでくる連想を楽しむことにしている
最初は素早く左指を動かして音程をとるところが凄いな、、と思ったりしたが
そのうち、いやいや右手も結構大変そうだと思うようになった
リズムを刻むためにデリケートに弦から離したり接したりする
そして弾き方もアップとかダウンのボウイングというらしいが
その選択は何が基準になっているのだろうと思ったりした

プログラムの最初の曲、ラヴェルの「ツィガーヌ」はレコードで持っている
だから何回か聴いているはずだが、何故か覚えられない
自分が馴染んでいるドイツ・オーストリア系の音楽とは違った価値観で
作られているからなのだろうか
本当に不思議なくらい覚えられない
(フランス人の曲でもフランクのヴァイオリンソナタはしっかり覚えられる)
でも生で聴くと、レコードよりは印象的だ なかなか良い曲だとも思う

2曲目は同じくラヴェルの曲で「亡き王女のためのパヴァーヌ」
この曲はメロディアスで、痴呆症になってしまったラヴェルがこの旋律を聴いて
自作とは思わずに、良いメロディだと評価したとのエピソードを何かで聞いた記憶がある
確かに良いメロディだ
つかみが良いので一気に聞き終えられる

サラサーテの「序奏とタランテラ」は初めて聴く曲
「序奏とロンド・カプリチオーソ」は知ってるが、
どちらかと言えば知っている分こちらを聞きたかった感じ

奏者の石塚和基さんは新城市の出身とのこと
彼はプログラムでわかるようにスペイン・フランス系をメインとした音楽的志向なのだろうか
それが一番現れたのが、個人的にはファリャの「スペイン舞曲」だった
なんか楽しかった、その時を精一杯楽しむような、そんな気分に満ちて
難しことを考えがちなドイトオーストリアの曲とは違う気がして、これもあり!
と勝手に思い込んだ

カルメン幻想曲は時々耳にする曲だが、この日のそれは普段聴くのと違った編曲で
一言で言えば現代的に音響に満ちた音楽だった
一筋縄ではいかない刺激的な音色で、カルメンの有名な曲の一部を楽しむ
といった雰囲気の曲ではなかった
これは現代人しか楽しめないだろうと勝手に想像した

後はアンコールを一曲
超絶技巧を要するノリの良い音楽

ということで久しぶりに音楽を楽しめた時間だった
だが、こうしたランチタイムコンサートが既に22回も開かれていたこと
を知らなかったことは、大損をしていたと深く反省する
これからはこまめに文化会館のイベントに注意しておかねば


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職員にも、いろんな人がいる

2024年09月15日 09時42分59秒 | ダイアリー

一年ほど前に何故か自分を信じてくれている市職員の方と話をした
ある休日、教えてもらったその人の自宅に出かけて
時間が取れるかと聞いたところ、快く迎えてくれた

迷惑をかけないために聞いたのは一般論
民間の人が市に不動産を購入してほしいと提案した時
市はどのような対応を取るのか?ということ
(これは養鶏所のことを頭に浮かべて聞いた)

まずは、庁内で会議を開く
所轄をどの課にするか決定する
次に購入するとしたら、その目的は何の為かを決定する
普通はこのステップを踏むと説明があった

さて、例の養鶏所は市に申し出があった時、この一般的なステップを踏んだだろうか
少なくとも、購入目的ははっきりしていなかった
(購入してから少し時間が経過した時点で、何に使うかを庁内検討会議が行われた)

目的がはっきりしないのに市のお金を使うことは許されないことで
目的がはっきりしないのに不動産を買う時は「乱開発を防ぐ」意味で
市の代わりに土地開発公社に任せることがあるようだ
でもあの時は、この方法は取られなかった

養鶏所の件で行われた不動産鑑定依頼の一社随契は
その理由をあげて説明があればそういうことはあると話されたが
不動産鑑定の納期前の速報値報告とそれに依る業者との打ち合わせは
よくわからないとのことだった

自分が養鶏所騒動の全体的な説明を終えたあと、それ聞いたその人の印象は
市は疑わしいと思われても仕方ないかもしれないとのことだった

話は変わって、つい先日、市役所に行った時、ある職員から声がかけられた
時々、市役所には行くことがあるが、ただの一市民に過ぎないから
彼らは警戒心もなく対応してくれると思っていたが
どうやらそうばかりではなく、一応、注意して対応すべき人物
とされているかもしれないと感じることがあった

だが声がけをした方は、以前に数回話したことがあって
真面目な(もしかしたら真面目過ぎる)人で、何らかの方法で
自分の行動や考え方を知っているようで、自分の経歴は
なにかオンブズマン的なことを行ってきたのか?と問われた

ただ単に普通のサラリーマン経験しかないと伝えたが
「よく勉強している」とちょいとお褒めの言葉を頂いた
その言葉につられて、つい話してしまったことは
「行政訴訟は、原告側は自腹をきって弁護士費用を賄ったのは
覚悟している、でも市が損を損をしているかもしれないので
その損を挽回しようとして裁判を起こしたことは
市のためというものの、結果的に市に多額の裁判費用を使わせることになったのは
本当に良いことだったのかと心が痛い」
と伝えると、その人は
「でもそういう人とか行動が無いと、市に緊張感やらそういうものが無くなってしまう
市の説明は上手くできずに疑いを招く場合は存在すると思われる
そうした時に、疑いをもって声を上げてもらうことはより良い説明をするための
動機づけにもなる、それは仕方ない必要経費だと思う」と答えられた

職員の中にもそう感じる人がいるのだ!
ということは、とても自分も救われる気がした
願わくば、こうした気持ちを持っている職員が多くいることを!

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何故、前回は自ら比較を行わなかったのだろう

2024年09月14日 09時38分21秒 | 養鶏所騒動

最新の情報で、又聞きの面もあるので正確ではないかもしれないが
気になった事があったので、それを取り上げてみる

新城市の9月議会、予算決算委員会で(多分)補正予算案として
インター周辺部の整備事業に関わる費用 1億1662万円が提案された

インター周辺整備事業と言えば、例の裁判沙汰になっている養鶏場の近くのことだ
令和元年に養鶏場跡を購入し、今になってやっと工業団地として
総面積90000平米の計画が実施されるようで
これだけのんびりした計画となれば、そもそも養鶏場を購入する時は
のちの計画などはあまり考慮に入れてなかったと思われても仕方ない

養鶏場跡、国土交通省の残土処理の土地を足しても工場用には面積が足りないので
26000平米の土地を新たに購入する計画らしい
それに要する金額が1億1662万円で、この金額がどのように算出され
それが妥当なものかが気になるところだ

補正予算は用地開発課で必要な金額を概算し、それを議案として提出した
必要な金額の計算方法は、すでに不動産鑑定を行われていて
その不動産鑑定の企業は例のところかと意地悪く想像したが
市役所に行って聞いてみると、まだ不動産鑑定はなされていないとのこと
必要な金額の計算は用地開発課の話によれば、近くの取引事例を参考にして
算出したとのことだ
すると、ちょいと高止まりしている養鶏場の取引も参考にしたのかと気になってしまう
養鶏所を含むかどうかはわからないが、いずれにせよとにかく近くの取引事例を
参考にして必要金額の概算を出したそうだ

この話を聞いて少し不思議な気がした
というのは養鶏場の土地を購入する時は、今回のように市で(用地開発課)で
近くの取引事例から必要金額を算出したのではなく
不動産鑑定委託事業者にいきなり希望売却価格を伝えて
それを元に不動産鑑定料の(参考)見積もり提出させ
その上で売却希望価格を用地購入費用として計上して、合わせたものが
補正予算として提出されたのだ

養鶏場の時は市は近隣の取引事例の比較を行わなかった
比較を行ったのは委託された不動産鑑定業者だ
ところが今度は、市が近隣の取引事例を参考にしてアバウトな数字を予算計上した

養鶏所の時は、市はやればできる(?)近隣の取引事例の参考を
なぜ自ら行わなかったのだろう
言い訳ででてきそうなのは、その時は適切な取引事例がなかったが
現在は、養鶏所も国土交通省の例もあるので、用地開発課でも算出できた
こんなところだろうか

不動産鑑定は近隣の取引事例を参考にして算出されるが
近隣の取引事例を参考にするには、一般的に不動産鑑定業者が利用する
一般公開されていない閉じた手続きだけではなく
他にもいろんな方法で取引事例を知ることができるようだ 
その中には、国交省の不動産情報ライブラリというものがあって
ここでも不動産の取引価格、地価公示等の価格情報を知ることができ
それによれば、養鶏場の取引価格は著しく高価であることが目立つ

つまりは、専門家の言い分だけを信じることなく、自分たち(市)も努力して
比較をしようと思えば、それをすることができる

行政は自らの正当性を確保するために手続きを大事にする
もしかしたら、本質的な内容の部分より手続きのほうが重要視されているのかもしれない
(本質部分の良し悪し判断は個人差が多いので、手続き重視となるようだ)

でも、手続き論の正当性は素人にはわかりにくい
ちゃんとやってるように見えても、別の手段があって、そちらからの視点では
不満を覚える結果となることがでてくる
ところが、その大半は市民が理解するにはあまりにも面倒なので
一般的には行政のすることを信じることにしている

ということで「なんでかな?」と考えてみることは
いろんな気付きにつながるし、ボケ防止にもなるので
これからもいろんなことに疑問を持つことにしよう


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9月も暑い

2024年09月13日 09時17分52秒 | ダイアリー

9月になってもクソ暑い
怒りを覚えるほどだ
昨晩は寝る一時間ほど前にエアコンを切って窓を開けておいた

暑いと言っても9月だから、夜はそのうち涼しくなるだろうと期待した
ところが入ってくる風はどこか生ぬるいし、湿気を含んでいる
それでもそのうちに、と期待したが起きるまで暑いままだった

でも一旦目を覚ましたのは3時半くらい
こちらの寝る方も根性があるようだ

朝から蒸し暑いので、今年よくやってるように気温変化のグラフを作ってみた


今日、13日までのグラフで緑が今年
特に9日以降に暑さが続いている
これは実感どおりだが、本当に怒っても仕方ないが怒れてしまう

先日、新城議会の一般質問の傍聴に行ったが、
そこで体育館のエアコンについての質問があった
新城市では地震台風の避難場所として小中学校の体育館があがられているが
最近実感するバカ暑さを思うと、エアコンなしで過ごすというのはとんでもないことと思う

以前、盆踊りの練習に小学校の体育館を使っ時のこと
体育館はエアコンがないので自宅の扇風機を持っていった
ところがが、全く効果はなかった
最近利用者の多い小さなUSBの扇風機は、暑いときには熱風を受けるだけになるから
使わないでようにとテレビでも伝えられていたが
まさにそんな感じで、体育館の扇風機は熱い風をかき回しているだけだった

でもその中で、子どもたちは走り回っていたのは、
子どもというのはそんなものだというものの、ちょいと呆れてしまった

とにかく暑い、、
エアコン無しで暮らすのはきつい
だから停電が怖い

怖いのは電気代もそうだが、8月分は高止まりは仕方ないと覚悟していたが
ラインで知り得た電気代は、高いには高いが、利用明細の電気使用料は
前年よりも少なかった
あれだけ使ったのに少なかったのは、今年エアコンを買い替えたからだろうか
(単に去年のことは忘れているからかもしれないが)
新しいエアコンは多くの機能があると同時に、節電効果も優れていると
思い込むことで自分を正当化できるから、そう思うことにしよう

それにしても、暑い

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直感は信じられるか?

2024年09月11日 10時04分09秒 | あれこれ考えること

兵庫県民は百条委員会まで開かれる事態になった知事を選んで
失敗したと思っているのだろうか
人なんてちょっとやそっとでわかるはず無いから
このくらいは仕方ないと思っているのだろうか
(こんな人だとは思わなかった、、が実感かも知れない)

人間性とか性格とか傾向はわからないから
とりあえずそれなりの人たちが薦める人を信じて投票する
多くの人が薦めるから間違いはないだろう
これが一般人の気持ちだろう
(特に日本人はみんなと一緒であることで安心する傾向がある)

しかし、ここ最近はこれが大外れということが多くないだろうか
人が人を選ぶということは思いのほか危険を伴うようだ
多くの人で選ぶことで最悪を避けることができると言われるが
その反対も起きうることが可視化されたようだ

ところで人間の第一勘とか、容貌、雰囲気から何かを読み取る能力は
どのくらい信用できるんだろうか
もしかしたら、考えに考え抜いたものよりも良い選択をするかもしれない

どこかで読んだ本で、首長選に立候補した何人かの写真を
(政策も経歴も知らない)遠くの地区の人に見せて、誰が当選するか?
を調査したのを見たことがあったが(確かアメリカの調査)
写真だけの判断は、思いのほか実際の結果と近かったとその調査にはあった

なんとなくわかるな、、という気がしないでもない
自分も一人ひとりの情報が全く無い状態で岐阜市長選の公開討論会を見に行った時
直感的にこの人が、、と感じた人が選ばれたからで、なんだかよくわからないが
人はそういう力も持っているのかも知れないとも思う

と言っても、現実には風貌しか知らない人を選ぶ状況なんてありえない
いろんな情報が好意、敵意を持って拡散される
その中で、自分の判断力を信じるというのは訓練されていないと
なかなか難しいのかも知れない

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しょうがないことかもしれない

2024年09月10日 08時34分49秒 | ダイアリー

腰が痛い 目が霞む 集中力が続かない
気がつくと脚が随分細くなっている
昔はサッカーをしていたので、脚が太くなってズボンを購入するときには
腰の周りのサイズではなくて脚の太さを気にしたものだった
脚が細くなると筋力も落ちてくる
階段を登るときも、以前ほど楽に登れないことにショックを受けて
最近はジムで脚の筋力を鍛えるメニューを取り入れている

ちょっと昔を振り返る意味で、ブログを書籍化したものを読んでみた
「住民投票と庁舎見直しの記録」「庁舎用地外移転補償騒動」の2つだ


これらは約9年前と8年前に書かれたものだが
今振り返って読んでみると、案外間違った認識のものがあって
赤面するのだが、それらは感情の勢いとか当時の空気感の現れで
記録としてはリアリティのあるものになっているかも知れない

ところで、少しショックだったのは、その書籍化されたブログの一つ一つが長くても
案外まとまっていたことで、そこには気力の持続が感じられる
自分が残したものと記憶をたどりながら読んでも、今は面倒くさいとさえ思えてしまうが
あの時は、よくできたものだなと思えてしまう(今は多分できていない)

ボケ防止のためのこのルーティンワークも、少しづつ面倒臭いという気分が支配的になる
目がしょぼい、気力が続かないせいだが、
こうした自分の能力の低下を含めて自分と向かい合うのは、それはそれで意味あることと
思い込むことにしている

ということで、残念な出来事も受け入れざるを得ないということ





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