季節の中で 暮らしの中で -Through the seasons and daily life-

現代の都会でプチ昔&田舎暮らし
-old & country style in modern urban life

You & I

2013-11-26 09:14:41 | 心と体 Mind&Body
この前、外国の人たちの古都案内をした時にわかったけど
私の英語はそんなに悪くない。だった。それは発音も文法もあと外国の人に対する態度や日本人としての自覚や立ち位置。
それはすごい発見。

中学の時に英語の授業がてんでわからなくて3年生の懇談で「この英語の成績だとあなたの志望校より随分下のところにしか行けません」と言われた。自分にはしたい勉強があったので強烈なショックだった。その時。
その後、ものすごい努力の甲斐あって中学英語はちゃんとわかるようになったけど。

高校の時も英語がてんでわからなくて、なんと英文で冠詞や指示語や疑問詞以外は殆ど辞書で引いてた。
何回も何回も同じ単語を引いても覚えられない。並べ替えや前置詞のあてはめとか殆ど勘で解いてた。
試験前も人に写させて貰った訳を必死で覚えるくらい。いつも赤点ギリギリの低空飛行。

大学でも英語はわからないし面白くないし。
そう、学校に行っていた時に英語が出来たためしがない。

だから私は英語が苦手だし好きじゃないし出来ないとずっと思っていて、今もそう思っている。


それが気づいたら普通に聞けて読めて話せている自分が居る。不思議だ~。

どうしてそうやって英語が使えるようになったかと言うと、きっかけは交換留学。
大学生の時にライオンズクラブ主催のユースエクスチェンジと言う企画で外国に行ける事になって、英会話をあわてて勉強した。
そして派遣される国が決まってみたらオーストリアだった。ドイツ語! その時は英語よりドイツ語はもちろんもっと難しくて「絶対に使わないから勉強したくない」だったから英語を頑張って練習して行こうと考えた。

行ってみたら私とその国の家族と文化や水が合って、それはそれは幸せで充実した毎日だった。
英語が使えることでいろいろな人たちと会話が出来て繋がれる面白さや楽しさを初めてわかった時だと思う。

その後も彼らに会いたい繋がってたい一心で英語の勉強を続けた。
映画を字幕で観たり、洋書を読むようにしたり。子どもが少し大きくなってからは英会話教室にも通って。

その間何年かは子どもたちが小さくてオーストリアにも行けなかったし近くに外国の人もいなかったから「こんな小さい町で英語を勉強して何の役に立つのだろう?」とやめようかと思った事もある。
それでも続けて勉強していた。

そうやって苦手だった私の英語は何十年もかけて少しずつ寝返りからお座りハイハイよちよちを経て独り歩きできるようになってきたのだと思う。
それはものすごい事だなと自分で思う。
ここ数年はそのおかげで外国の友達も増えて、それで役に立てるようにもなって来た。

今はSNSでも簡単に繋がれるしSkypeで顔を観ながら会話も出来る。買い物もインターネットで外国から簡単に出来るようになった。そうやって日本語と英語が普通に共存する暮らし。

英語が出来なかった時、それは判断基準を人に任せていた時だと思う。行動の中心が自分以外のあなた(You)であり勉強する原動力は心配や「憂」い。試験の点数や将来やいろんな事のために勉強していた時。
学びそのものは苦しくつらくどんどん自分のエネルギーが吸い取られていくような感じ。

英語が毎日の暮らしの学びになって身に付いて行った時は誰のためでもなく自分のために学んでいた(I)。
勉強する原動力は大好きな外国の友達に対する「愛」。
学びは楽しく、積極的で英語を使う事で自分のエネルギーはどんどん膨らんで高まって行く。

少し前に友達から行動はアイから!って聞いてなるほどと思ったけど、その通りだ。
アイはI(わたし)であり愛である。胸の真ん中から自分で行動する。
勉強だって仕事だって。

そうやって来てあんなに苦手だった英語が私の身に付いた。こんな奇跡的なことってないと思う。
自分主体に動いて学ぶこと、そのすばらしさに改めて気付く。それは自分だけじゃなくて周りの他の人のためにもいずれはなる。

You(憂)よりI(愛)基準での学びと暮らし、これからも大切にして行きたいと思う。


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