教育実習生として今月の初めから 先生となって過ごしている娘。 僕から見るとまだ子供なので、 子供が子供を教えているというか・・・・・
なんでも 実習時間を普通より遙かに多く持つ事になったそうでして、 信頼がおけると判断されたんでしょうかね???? とは知り合いの先生からの言葉。
同時に、学校というところが結構忙しくて大変な場所であるという事も、娘には分ってきたようです。
まがいなりにも10日も過ぎると クラスの生徒達の特徴や性格、勢力図、友達同士の構成 その他諸々を理解するので、そういった面では初めの頃よりは楽みたいですが、知ることで、いや授業を任されている時間が増えることで 避けて通れない事が出てくる。
いわゆる生徒指導という面からの難しい問題。
僕は子供の頃から、自分の子供達をよく叱りました、特に娘は普通の子よりかなり多いかと・・・・爆汗
当然に必要と判断すれば、当たり前のように体罰もしましたし、 そうやって育ててきたわけですが、 約20年かけて形成された一人の人間としての業(人格)は、ダイレクトに人間性と相まって生徒達の前に現われます。 人間性への評価が子供達から下される事が出てくるんです。
そんな我が子の、こんな事があったという話を一つ・・・・
授業を受けもつと、 初めは新しい先生に緊張していたのも徐々にほどけ、 段々と姿を現し始める。
すると必ず時間中に悪ふざけする子が出てくるわけで、 後ろから友達の頭を筆箱で叩いたりしたらしいのですが、 初めはポコン! ところが 段々とエスカレートして 連続で叩き始める。
叩かれた子は嫌がって、「やめろよ!」と振り返りつつ小声で言うけど、 ところが叩いている方はそれでさらに調子入って~叩く。 実はどちらもどちら?
問題はこのときの指導。
先生からすれば、すべて丸見えですから、娘は何度か口頭で注意をしたようですが、小柄で温和に見える(だけですので注意)事もあり、 少しエキサイトし始めているこの二人は聞く耳を持たない。
問題なのは、その生徒に先生(娘)の神経が集中することで 他の子達が起こす不思議な行動。
人というのは愛情を求める生き物であり、二人に気持ちを取られていると、クラスの他の子は初めこそふざけた友達を注意したりしますが、やがて先生の注意を引きつけている二人への嫉妬心(本人はそうとは思っていない)がムクムクと心の底で起きてくる。
そして徐々に無関係だった子達までが騒ぎ始めるという、本能的人間の性。 あ~・・・・・
すると最初に事を起こした子は、先生の目が分散するので、やることがさらに激化する。
一種のゲームというかなんというか
この時どうするか?で 学級は大きく分かれていくわけですが、下手すると学級崩壊し 目も当てられない体たらくになって・・・・・・
と、これが現実的にjは多いのですが、 特に教育実習生は子供相手に厳しく接する事に慣れていない(というか叱られて育ってないので、どうしたら良いかがそもそも分らない)事もあって、担任の先生が気づいて介入するまで大騒ぎになることが多々ある。
優しければすべて上手くいくほど 子供達はバカでは無いからだ。
そういった騒乱状態になると、普通に注意して済む話では無くなる訳であるが、いわゆるクラス全体が、愛情をとりあう状態へと変化してくる。
この場合、いわゆる叱るという行動を、どのタイミングで、どう行うか?というのがとても重要なのだけど、子供達は先生をよく見ており、 人間性、勇気、そして心の深さ等々を わずかな時間接しただけで読み込むことが出来る。
子供達はある意味、全員が天才なのだけど、この優れた感覚で自分に愛情をどう向けてくれるか?という方向へ、本能的に流れていく。 これが根本的な問題。
でもって 家の娘はどうしたか?というと、全体の雰囲気が崩れ始めた瞬間に、 大きな声でその二人の生徒を激しく叱りつけた。
*いわゆる謝った方向の愛情獲得要求を転化して引き締めるということですが、これが実は難しい。 自分自身が何度も経験をしていないと感覚的にそれが分らずに 学級崩壊
とたんに崩れそうになっていた雰囲気が一瞬にして引き締まり、頭を叩いていた生徒はそれをやめ、全体も落ち着いて、すぐに授業を継続。
かなり手厳しく叱り飛ばしたようですが、くだくだくだ と、女性の先生特有のしつこく言う事が一切無い、ドカン!方式? 僕譲り?かな(笑)。
本当に短い時間の出来事だったそうですが、 その声の大きさに 隣のクラスの先生が驚いてわざわざ様子を見に来たほど。
*様子を見て ウンウンと頷きながらその先生はクラスに戻ったそうです。
実は子供達は授業時間中に、やって良い事と、悪い事の基礎的な判別はきちんと付いている。
騒ぎ始めることが良くない事を知っていながら、 全体がワサワサするのは 、上記に書いたように愛情、すなわち自分にも目を向けてほしいという 本能的なものから来ている。
*叱るという行為が的確に通じない先生は 申し訳ないが 生徒にとって言葉を聞くに値しない人間とみなされているか、 薄っぺらい人間性、もしくは内面にある嫌な面を感じ取っているという子供達の残酷な一面として現われます。
子供は時々、ワザと?、それをしたら叱られるのを十分時に分っていながら思いもよらない行動をすることがある。
あたかも叱られるのを 望むようにです。
これはあえてそうすることで、自分に向けられる心を受け取り、普段得られない(何時もとは全く違う方向)愛情の深さを 叱られるという行為を通じて知る(探査)ことそのもので。
それが心の満足となって安心するわけです。 *こうしてあらゆる方向(喜怒哀楽)からの愛情をまんべんなく受けてまっとうな人間性ができる。
叱られるは、厳しさを通して得ることのできる 人の心(温かさ)なのですが、
恐怖の教育である褒めて育てる教育(犬の教育法)を施された子供達の最大の特徴は、無意識で人を恐れる事。
それにより他人と上手くやっていけない、社会に溶け込めない等々の問題を引き起こす。
いわゆる他人の怒りや摩擦と正面から向き合ってきた経験が育まれていない為に、常に対人恐怖を常に心の底に抱えて生きていかねばならない。 これは本当に不幸なことだが、
そこにきて、褒め続けられる事(親の子に対するコントロール目的含む)で出来上がった、なんら形成根拠が無い自信(親から繰り返しすり込まれた虚像)によってなんとか?自分を保たせるという、非常にアンバランスな精神状態になる。
理解不可能で得体の知れない”俺は偉いんだ(もろい虚勢)思考”になるのは、こうした叱られることを通して人の愛情の深い部分を受け取ること無く育つから。
草食系の真実(内なる心)は、 他人とまともに心を交わすことすら出来ない虚弱な精神的能力と、異様なまでの自己肯定が存在している。 人の心が怖いから女性ともまともに付き合えない。
昨今の若い男が無抵抗な女児(ロリコン)に没入し、 失恋したら したで、ストーカーとなって女性を追い回したあげくに刺す、暴行する、殺す等々の事件が多発しているのは、 褒めて育てられた俺様思考を木っ端みじんにされることが、自分のすべてを否定されることに直結しているから。 それほど精神的にもろく心が弱いんです。
心の闇などと言うマスコミの垂れ流す アホな言葉より、遙かに明快で簡単な本能的人の行動によって引き起こされる 自己肯定と防衛本能 なのだと僕は言い切る。
ぼっち 無気力 女性化する男の子のファッション メールや スマホを介しての 交流を好むのも 褒めて育てられて出来上がった その得体の知れないプライドが有るからだ。
叱るは 底に深い思いと相手を慈しむ心、そして愛が必要だ。 でなければ嫌な思いをしてまで誰が叱ろうか?
故に、その叱るがどんなに激しくても、心となる部分がけして揺らがないかぎり たとえその時に理解できなくても、反抗しても、必ず分る時がやってくる。
これは叱る側が 親だけでは無くて、 上司の事もあるし、 夫婦間でもそうだし、 時として見ず知らずの他人の時もある。
叱るは、よく暴力としてとらえられることがあるが、 暴力は単なる破壊、 叱るは 相手を育てる という大きな違いがある。
まったく立起するところが違うわけで、 いきなりガツンやられたクラスの子達は、まがいになりにも何かを感じとった様で、 その後は何ら問題の無い平穏な授業が続いているらしい。
幼い頃より ウインドサーフィンで揉み上げ、時には風速20m近い暴風の中でプロへの昇格レースに挑んでボロボロに流されたり、テトラポットで命を落としそうになったり、 苦労して勝ち得たヨットレースのワールドカップで、世界中の子達と競い合ったりした経験をもつ我が娘。
女の子としては、普通の子より遙かに厳しく(自然相手に戦わせて)育ててしまった故に、 女性的なふにゃふにゃ感が全く存在しない子であるのだが、 実習の話を色々と聞いている限りでは、特段問題も無くすごせているようだ。
もうすぐプール授業が開始されるけど、娘の一番得意な体育分野で、 水関係は僕が直接娘を育ててきた土壌で、かなり手厳しかったから、それを授業でもろに展開しなければいいなと思っているけど・・・・・ やるだろうな~あの子は。
最後に、家の子は小中と本当に勉強の出来ない子でした、 勉強ができる=高評価 とは、全く無縁で育ち、当然のことながら学級委員的な良い子ちゃんとも全く無縁。 むしろ落ちこぼれの子達の気持ちは痛いほど分るだろう(笑)
ただ、親として(ひいき目ですいません)いえるのは 繰り返し自然の力に締められてきたことで、謙虚な姿勢を持つ子であるのは間違いない。
いや、それ以外に誇れる物はなにも無いと思います。