児童餓死虐待容疑者に見る“同姓”の意味と自律性

2010-03-06 07:04:50 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――

 奈良県桜井市の5歳長男に食事を与えずに餓死させ、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された26歳の母親。夫は虐待によくあるパターンの再婚相手でもなく、子どもも夫の連れ子と言うわけでもなく、多分生涯を誓い合って一緒になり、二人の間に設けた子どもであった。

 《母親「不仲の夫に似ていて憎くなった」 奈良5歳餓死》asahi.com/2010年3月5日10時55分)と《奈良5歳餓死 祖父母を自宅に入れず 虐待隠す目的か》asahi.com/2010年3月5日15時1分)から見てみる。

 餓死させられた長男が2歳の頃、「夫が親類の借金の連帯保証人になり、督促状が来るようになった」頃から夫婦仲が悪くなり、「夫に似ている息子が憎くなって顔をたたいたりするようになった」

 長男を「不満のはけ口」とみるようになり、「毎日ではないが、(手を)パーやグーにして顔をたたいたり、つねったりするようになった」

 「1月初めごろから、朝に1回だけしか食事や水を与えなかった。この1週間ぐらいは何も食べていなかった」

 県警は長男が激しく痩せ、歩けない程衰弱していたことから、虐待が長期間続いていたとみているという。
 
 「顔をたたいたり、つねったり」よりも、食事を与えないことの虐待、長期に亘って空腹の苦痛を与えたことの虐待、そして空腹のまま衰弱させ、死に至らしめたことの虐待は何よりも残酷な犯罪であったはずだが、その残酷さに気づかずに夫への憎しみを夫に似ているという理由でより弱い存在に向けた。自らの憎しみを5歳の子どもに食事を取り上げることで代償させた。

 35歳の夫は育児に関わろうとせず、「衰弱しているのは分かっていたが、何もしなかった。妻にも何も言わなかった」

 形ばかりの夫婦となっていたわけである。

 記事は県警は夫が、〈暴行にはかかわっていないとみている。〉としているが、相手は5歳の子どもである、「衰弱しているのは分かっていたが、何もしなかった」は未必の故意に限りなく近い犯罪に相当しないだろうか。

 体重は5歳児平均の3分の1の6.2キロ、身長も平均より約25センチ低い2歳児程度の85センチしかなかったという。そこに継続的に積み重ねられた虐待の総量を見るべきだろう。

 長男は保育園や幼稚園に通っていなかった。両親が訪ねてきても、会わせないようにしていた。市が行っている4カ月、10カ月、1歳半、2歳半、3歳半の計5回実施の無料乳幼児健康診査に最初と二度目の4カ月、10ヶ月の2回しか受診させていなかった。

 記事は、〈奈良県は未受診家庭について、催促しても応じない場合、家庭訪問をして虐待がないか確認するよう市町村に求めている。〉と書いているが、最初と二度目のみで、あとの3回続けて受診ナシなら、何らかの疑問を持ってよさそうなものだが、桜井市は家庭訪問をしていなかった。

 健康推進課の担当者「電話などで連絡が取れないなど、よほどのことがなければしない」

 電話で連絡が取れたから、家庭訪問はしなかったということなのだろうが、電話で連絡が取れただけのことで、それが受診という結果につながらなかったなら、なおさら疑って然るべきだが、1歳半、2歳半、3歳半と受診がないまま放置したと解釈できないこともない。

 だが、「NHK」記事――《両親 乳幼児健診を受けさせず》(10年3月4日 19時0分)では、母親が健診ができない事情を話して、相手を納得させている。

 厚生労働省が長期間受診しないケースでは問題が起きている怖れがあるとして、なるべく家庭訪問をするよう自治体に求めているとしているのに対して、桜井市は厚労省の通達を忠実に守ったのか、1歳半健診時に職員が電話で問い合わせている。

 母親「2人目の子どもを妊娠中で安静が必要なため、受診させられない」

 妊娠していた長女を出産した頃から夫と不仲となり、夫と似ている長男が憎くなって虐待を開始したということになる。

 3歳半健診時は母親の方から電話があって、「介護のため、健診を受けさせに行けない」

 記事は長女の健診について何も書いていない。長女は2歳前後となっているのだから、生後4カ月、10カ月、1歳半と3回受診していなければならない。長女だけ受診し、長男が一度も受診していないケースと、長女も長男も受診していないケースが考えられるが、後者の場合は長男と同様に母親が口実を設けて受診できない理由をでっち上げたに違いないが、兄妹共に受診ナシなら、疑ってかかるべきだろうが、例え前者であったとしても、兄と妹の違いに何らかの疑問があって然るべきだと思うが、後付の要求事項だろうか。

 記事は桜井市の八倉文作健康推進課長の声を伝えている。

 「両親とまったく連絡が取れない場合は、家庭訪問を行うなどの手段が考えられるが、今回のケースでは、母親が電話でそれなりの受け答えを行っていたので、それ以上の対応を行うことはなかった。結果として虐待が見抜けなかったことは残念で、ショックを受けている。今後、再発防止策を考えたい」

 この記事の動画の同じ人物の言葉から受ける印象と大分違う。

 「お母さんのことばーを、信用していたわけですけども、節目節目の、その受診について、あまり、ィー、続くような場合は、やはり、今後、オー、そういう対処の仕方も、オ-、ま、考えていかねければならないだろうな、ということは、考えています」

 「考えていかねければならない」と強く断定しているのではなく、「考えていかねければならないだろうな」と弱めの断定となっているところに決意の真剣さを窺うことができる。

 市の無料乳幼児健康診査を後半の3回受診しなかったことに電話で対応しながら、「母親が電話でそれなりの受け答えを行っていたので、それ以上の対応を行うことはなかった」ことがもたらした「結果として虐待が見抜けなかった」最終事態が母親から5歳の子どもが満足に食事を与えられず、暴行も受けて餓死したという痛ましい事実でありながら、言葉では「残念で、ショックを受けている」と言っているものの、その残念さもショックも痛ましさも責任意識も何ら感じさせない事務的な口調で他人事のように淡々と話していた。

 それは「そういう対処の仕方も、オ-、ま、考えていかねければならないだろうな、ということは、考えています」の言葉面自体にも現れているはずである。

 要するにどこかに手落ちがないとは言い切れない自分たちも関わっていた幼い子どもの残酷な死でありながら、本心のところでは他人事の死としか受け止めていない。

 こういった身近な死にさえ無関心な人間が健康推進課長だと言っても、健康についてもそれが他人の健康なら、関心を持つはずはなく、単に職務として関わっているに過ぎないのではないだろうか。無関心だから、「健診を受けることができるときに、例え有料であっても受けているのか」と尋ねることもしなかったのではないのか。

 尋ねていたなら、例え受けていなくても母親が受けたとウソをついたとしても、そのことは市の無料健診の代りとなる健診となるから記録しなければならない。当然、そういった話は出てくるはずだが、出てこない。ただ母親が電話でこう言ったからと、それをそのまま鵜呑みに受け止めたといったところなのだろう。

 母親は少なくとも生涯を共にすることを誓い合って結婚し、同姓を名乗った。子どもを二人設けて、長男は5歳となり、長女は3歳となった。だが、3年前から夫と不仲となり、その頃から夫への憎しみを夫に似ているからという理由で長男に向けて虐待を繰返すようになった。

 夫を憎み始めてから3年間も夫婦であり続け、同姓を名乗っていた。なぜ離婚して、長女は自分が引き取り、長男は夫が引き取るという形に持っていかなかったのだろうか。夫の方も長男が「衰弱しているのは分かっていたが、何もしなかった。妻にも何も言わなかった」と妻にも子どもにも無関心となっていたのだから、離婚の理由にならないはずはない。

 それでも夫が離婚に反対していたということなら長女を連れて家を出る自立も選択肢としてあったはずである。 

 離婚できずに同姓を名乗り続けたのは夫に対して妻が経済的にか何かで依存状態にあり、自律していなかったからだろう。夫婦関係の形骸化に伴って同姓も形骸化し、絆も形骸化していたはずだが、妻に自律精神を欠いていたために離婚という形を以てしても同姓を解除することができなかったし、如何なる修復も図ることができなかった。

 経済的な自立が不安であったとしても、精神的な自律心さえ備えていたなら、生活保護でも何でも選択したろう。

 このことは同姓、別姓が問題ではなく、それ以前の問題として夫婦が相互に自律した存在であるかどうかが問題となることを証明していないだろうか。

 逆説するなら、夫婦が相互に自律した存在であったなら、同姓だろうと別姓だろうとたいした問題ではないということである。たいした問題ではなければ、本人の選択に任せるべきだろう。

 

コメント (1)
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