昨3月8日「JNN世論調査」記事――
鳩山内閣を「支持できる」――37.7%(前月比-6.7%)
鳩山内閣を「支持できない」――61.9%(前月比6.9%)
政党支持率
民主党――29.6%(前月比-2.0%)
自民党――19.3%(前月比+0.6%)
夏参議院選挙投票先
民主党――25%
自民党――20%
まだ決めていない――41%
無党派層
民主党――7%
自民党――10%
まだ決めていない――69%
「総理大臣を任せたい国会議員」
自民舛添要一――13%(1位)
鳩山首相 ――8%(2位)
谷垣自民総裁 ――1%(その他大勢の中)
小泉進次郎 ――1%
授業料無償化の対象に朝鮮学校も含めるべきか
含めるべきだ――35%
含めるべきではない――53%
答えない・分からない――12%
「総理大臣を任せたい国会議員」に早くも小泉進次郎が顔を出して、谷垣自民党総裁と肩を並べている。いくら世襲、親の七光りとは言え、並べられた谷垣天下の自民党総裁はどう快く思っているのだろうか。
安倍晋三を2006年に自民党総裁に選出する際には自民党の殆んどの派閥が政界のプリンスと持てはやされた安倍晋三にバカでもチョンでもの支持の雪崩現象を起こし、朝日新聞の2006年9月8日、9日の緊急電話世論調査でも当時の安倍晋三官房長官、若きプリンスに「次の首相にふさわしい人」はこの人だと54%の有権者がツバをつけ、対立候補の谷垣財務相11%、麻生外相10%と、両者には殆んどの有権者は眼中に置かなかった。
そのように自民党派閥と有権者の圧倒的な支持を受けて内閣発足時は70%近い支持率を頂戴していたが、稼いだカネのように銀行に預けて温存してあとで不足分を小出しに引き出して補うわけにはいかず、2007年7月の参議院選挙で安倍内閣の自民党が大敗すると、次の衆議院選挙では安倍晋三では戦えない、選挙の顔を変えるべきだと“安倍降し”の嵐が吹きまくった。
それ以来、総裁に選出するときはフィーバー状態を呈しても、たいした時間を経ない“総裁降し”が自民党の歴史と化し、文化となった。
“安倍降し”に始まって、“福田降し”、“麻生降し”と歴史を繰返し、文化を引き継いだ。そして現自民党総裁谷垣に対する“谷垣降し”がまさに幕を切って降ろされようとしている。「総理大臣を任せたい国会議員」が「政治とカネ」の問題で支持率を下げているとは言え、与党首相の8%に対して最大野党自民党の総裁が自民党新人議員と肩を並べる1%の位置にやっとつけているようでは、“総裁降し”の嵐が吹いても止むを得ないということか。
しかしこの歴史と化し、文化となった“総裁降し”の嵐は同時に初期の世論調査の支持率が如何に当てにならないかということをも証明している。世論調査の支持率は有権者が決める。期待しては裏切られる歴史を繰返していながら、同じ歴史を繰返すこととなっているにも関わらず、相も変わらず同じことを繰返すことになっている。前以てどんな政治家かを見る鑑識眼にどこも狂いがないからこそ、こういった繰返しを許すのだろう。
いい例が長期自民党政権を手放すこととなった麻生太郎自民党総理・総裁であろう。総裁になる前後の麻生人気は凄かった。池袋、新宿、アキバと東京の有数の繁華街に顔を出そうものなら、若者の麻生コールと共に麻生フィーバーが吹き荒れた。それを心得ていて、麻生太郎は街頭で若者を前にして「少々キャラが立ちすぎて、古い自民党の方々に、あんまり評判の良くない麻生太郎です」と、古い人間を否定的存在に位置づけ、対する若者を肯定的存在に位置づける自己紹介で尚のこと若者の人気を獲得していった。
それが失言や発言のブレ、政策のブレで支持率を失っていき、2009年衆議院選挙が近づくと、麻生では衆議院選挙は戦えない、選挙の顔を代えるべきだと“麻生降し”の嵐が吹き荒れ、それができなければ党を出て、新党結成だと、現在舛添や与謝野が騒いでいることと同じ騒動を勃発させていた。
そして衆議院選挙の自民党歴史的大敗と政権交代。
自民党は野党に下っても、一旦歴史とし、文化とした“総裁降し”の嵐はそれを繰返す宿命にあるらしく、現自民党総裁の“谷垣降し”が同じ歴史を辿り、同じ文化に色づけられようとしている。
その一人が与謝野だと既にちょっと触れたが、自民党は与謝野馨元財務相が3月10日発売月刊誌「文芸春秋」4月号掲載の論文で、夏の参院選前に谷垣禎一総裁ら執行部の刷新を求め、実現しない場合は新党結成も辞さないと“谷垣降し”に言及し、舛添要一は3月1日の日本外国特派員協会講演で、「世論調査で民主党の支持率は自民党の2倍で致命的だ。この点を党内の良識派が考慮すれば、谷垣総裁を降ろす方向に動くだろう」(YOMIURI ONLINE)と既にあからさまに“谷垣降し”を、いわば間接的、他力本願的に煽動しているが、同じ歴史、文化再演の導入を予兆する出来事となっている。
自民党が参議院選挙の勝利を優先させて“谷垣降し”に動いたなら、次の自民党総裁は世論調査で最も多くの有権者の鑑識眼に適った「総理大臣を任せたい国会議員」の1位13%を占めた舛添要一に流れていくのだろうか。
尤も自民党内派閥力学が有権者の鑑識眼にどう応じるかも決定要因となる。とりわけ自民党最大派閥の陰のオーナー森喜朗元首相の意向を無視することはできないはずだ。自民党が野党となって麻生に代る新総裁選出のとき、舛添は立候補の意思を見せながら、都内で森喜朗と会談、自民党最大派閥を握り、日本の政界の時代錯誤の黒幕森喜朗に支持を得ることができなかったのか、会談直後に立候補断念を表明している。
だが、森喜朗が“福田降し”を謀り、麻生を次にと目指して、「福田さんの無味乾燥な話より、麻生さんのような面白い話が受けるに決まっている。・・・・我が党も麻生人気を大いに活用しないといけない。『次は麻生さんに』の気持ちは多いと思う。私も、勿論そう思っている」(毎日jp)と麻生総裁選出の先導役を果たしたように舛添に対しても、「我が党も舛添人気を大いに活用しないといけない。『次は桝添さんに』の気持ちは多いと思う。私も、勿論そう思っている」と舛添総裁を請合ったなら、有権者の13%を占めた鑑識眼は自民党内派閥力学の利害と合致して、舛添新総裁も実現可能となる。
但し、自民党は有権者の鑑識眼に高い確率で適った政治家を総裁に選出しては降ろしにかかる“総裁降し”の党内抗争を既に自らの歴史とし、文化としている。殆んどのケースで「総理大臣を任せたい国会議員」に1位を獲得してきた舛添にしても同じ歴史・文化に絡め取られて、有権死者の鑑識眼の確かさを証明することにならないとは決して言えない。。
要するに歴史・文化として引き継いでいく次の“総裁降し”までのピンチヒッターで終わらない保証はない。何しろ有権者の政治家を見る鑑識眼は高いのだから。
この予想を証明してくれる記事がある。
《舛添氏「切磋琢磨で党が良くなる」》(NIKKEI NET/10.3.9)
自民党の舛添要一前厚生労働相は8日、与謝野馨元財務相が谷垣禎一総裁らを批判する発言を繰り返していることについて「小沢独裁民主党と違って、われわれは自由だ。切磋琢磨(せっさたくま)することが党が良くなることだ」と述べ、自らも批判を続ける考えを強調した。国会内で記者団に語った。(00:37)
何度でも同じことを言うことになるが、舛添は「誤解を恐れずに言うなら、今の自民党には小沢さんよりももっとラジカルな(過激な)独裁者が必要だ」と小沢以上の“独裁者必要論”を説いていながら、「小沢独裁民主党と違って、われわれは自由だ」などと以前に言ったことと矛盾する、あるいは二枚舌となる“小沢的独裁者否定論”を平気で展開しているが、この言葉は民主党と違って自民党は自由に批判できる土壌がある、批判するのは自由だという意味となるはずである。
だが、後段の「切磋琢磨(せっさたくま)することが党が良くなることだ」は、お互いが建設的な意見・政策を提案し合って全体を高めていき、党を良くする相互性を言っているはずだが、舛添の党執行部批判はその殆んどが建設的な意見・政策の相互提案ではなく、「このまま党の支持率が低迷したり、古くさい経済政策をやるようなら、新党もあるし、(党に残って)今の党を変える可能性もある。・・・参院選前、谷垣禎一総裁を総裁の座から引きずりおろす動きが出るかもしれない。そうすれば改革は可能」だと、「切磋琢磨」の相互性とは無関係な党内政局、あるいは党内人事に関わる一方的な批判のみである。
「大辞林」(三省堂)には【切磋琢磨】は次のように出ている。
「友人同士が競い合い励ましあって、自分を磨くこと。」
競い合い励ましあうのは友人同士なのだから、自分を磨くだけではなく、友人も自らを磨く相互性を含めた言葉であるはずである。だが、舛添の批判は党執行部を貶めることで自身を有為ある政治家に見せようとする思惑しか見えてこない。
いわば、「小沢独裁民主党と違って、われわれは自由だ。切磋琢磨(せっさたくま)することが党が良くなることだ」という言葉自体が既に自己欺瞞に満ちた二枚舌となっているのである。「総理大臣を任せたい国会議員」1位13%の有権者の鑑識眼が鑑識眼どおりの有効性を保って自民党総裁の椅子に無事着席可能となったとしても、舛添が性格として抱えている自己欺瞞に満ちた二枚舌、他力本願が自民党の歴史・文化となっている“総裁降し”の嵐を自ら招く起爆装置にならない保証は限りなく小さく見えてくるが、どんなものだろうか。