《「中国や朝鮮半島の植民地化、歴史の必然」講演で枝野氏》(asahi.com/2010年3月27日22時37分)
枝野行政刷新相が3月27日に松江市で講演して、政権交代を契機に「新しい政治をつくらないと大変になる」といった演説趣旨を説明する譬えに明治維新を引き合いに出してアジアの歴史に新解釈を施す、次のような歴史家顔負けの立派な歴史観を述べたという。
「日本は明治維新ができ、近代化したが、中国や朝鮮半島は近代化できなかった。日本は植民地を広げる側で、中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然だった」
「ペリーが来て『国を開け。日本が油断したら植民地にするぞ』と。日本は明治維新が早くできたからその後の100年くらいの中で一定の優位性を保つことができた。同じ環境に中国や朝鮮半島もあった。日本の明治維新をみながら近代化しようと頑張った若い方がいたが、結局進まなかった」
「日本が明治維新できていなければ日本も中国や朝鮮半島と同じように、欧米列強の植民地や半植民地にされていただろう」
記事は一連の発言を、〈植民地支配を正当化したとも受け取られかねない発言だ。〉と批判している。
講演後、朝日新聞の取材に枝野歴史政治家は次のように答えたという。
「日本が植民地支配する側に回ったのはおかしいと思っている。誤解を招く発言で率直におわびする」
簡単に「おわび」されたのでは、勇ましく断定した 「歴史的な必然」がどこかに吹き飛んでしまう。枝野歴史政治家が言っていることは、記事の題名で書いているように中国、朝鮮半島に対する植民地化が「歴史的な必然」であるということにとどまらず、「中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然だった」と言っているように“植民地化”と表裏一体をなしている「侵略」と被侵略そのものを「歴史的な必然」であり、歴史が招いたことだとしていて、その点にこそ問題がある。
さらに「近代化」と「非近代化」が侵略する側と侵略される側を分ける分岐点だと看做している。「近代化」こそが国家的な侵略性を備える必然的要素であり、「非近代化」こそが被侵略性を担う必然的要素だと。
いわば「近代化」は歴史的“善”であり、「非近代化」は歴史的“悪”だと価値づけている。
日本は明治維新という近代化ができたから、中国、朝鮮半島を侵略し、植民地化できた、中国、朝鮮半島は近代化ができなかったから、日本に侵略され、植民地化された。だからこそ、「日本が明治維新できていなければ日本も中国や朝鮮半島と同じように、欧米列強の植民地や半植民地にされていただろう」という発想になる。という結論になる。
日本は「近代化」という“善”を担ったわけである。
大体が自民党政治が自ら招いた失政によって墓穴を掘ったことから幸運にも飛び込んできたに過ぎない政権交代を明治維新に譬えること自体がおこがましい歴史観なのだが、政権交代したものの政策遂行にもたついていることから歴史的偉業に擬(なぞら)えて自他の尻を叩こうとして持ち出した明治維新といったところなのだろう。
日本の中国、朝鮮半島、その他のアジアへの侵略、植民地化は欧米列強の植民地主義を見倣った日本国家の意志が成さしめた歴史上の動向に過ぎない。自らをアジアの強国と看做して、欧米先進国のマネをし、後に続く意志を自らつくり出した。
但し欧米先進国のマネをし、後に続いたものの、侵略した中国に関しては反撃を食らい、完全には植民地化することはできず、日本の敗戦まで泥沼の交戦状態を続けることになり、侵略を完結させることはできなかった。
侵略・植民地化が「歴史的な必然」ではなく、単に侵略国の意志に過ぎないことは日本の敗戦後、ソ連が北海道と東北、アメリカが関東や中部等、イギリスが九州、中国地方といった具合に戦勝国が日本を分割統治する案が一度は立てられたことが何よりも証明している。ソ連の朝鮮半島に引き続いた日本をも分割一部占領の意志は強いものがあっただろうが、米ソによる朝鮮半島南北分割統治による両国の対立と冷戦がソ連が加わった日本の分割統治を阻むアメリカの意志を形成せしめたはずである。
中国、韓国の近代化は日本の近代化よりも遥かに遅れた。中国に対してそれを阻害した原因はイギリスの中国に対する干渉と日本の侵略であろう。朝鮮に対しては日本は侵略したが、朝鮮の近代化に貢献したと功罪相半ばさせて侵略の罪薄めを図る勢力が存在するが、単に統治上の便宜的措置の範囲内に限られた近代化に過ぎないはずだ。
「日本は明治維新が早くできたからその後の100年くらいの中で一定の優位性を保つことができた」かもしれないが、中国、韓国は近代化は遅れたものの、政治の意志や経済の発展に向けた意志の点で日本を今や追い越しつつある。これは主として日本の政治の意志が招いている「優位性」の喪失であって、決して「歴史の必然」が招いている日本の“衰退”ではあるまい。