――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
民主党に元気がなくなったのは、自由に議論する場がなくなったからだ。党に政策責任者がいないから、衆院選マニフェスト(政権公約)の実行が思うようにできていない。首相が10年前に呼びかけた「1人1政策作ろう」を政権交代を機に実現しようと思ったら、議員立法も制限されて、政治主導には程遠くなった。民主党の運営はまさに中央集権で、今の民主党は権限と財源をどなたか一人が握っている。党の代表である鳩山さんは、小沢さんを呼んで党が中央集権になっていることをきちんと注意すべきだ。1年生議員は民主党に入ったときから強度の管理体制下に置かれていて、自由な発言ができない。民主党の信頼低下は小沢幹事長の「政治とカネ」が原因で、圧倒的多数の国民は今までの説明に納得せず、幹事長をお辞めになるべきだという意見が多い。小沢幹事長は然るべき場所できちんと説明すべきで、それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかない。国民は小沢幹事長が不起訴になったからといって全部シロだとは思っていない。おそらく説明できないのではないのか。幹事長は前よりだいぶ権威づけられてきたというか、権力者になってきた、云々。(以上《【単刀直言】生方幸夫民主副幹事長「党の“中央集権”、首相は小沢氏を呼び注意を」》(msn産経/2010.3.17 00:40)から)――
民主党の生方幸夫副幹事長が「msn産経」のインタビューの中で小沢幹事長の党体制と「政治とカネ」の問題を批判した上に、圧倒的多数の国民は今までの説明に納得せず、幹事長をお辞めになるべきだという意見が多いと、国民の声を代弁する形で間接的に辞任を求め、尚且つ再度の説明を求めて、それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかないと直接的にも幹事長辞任を要求した。
しかも小沢幹事長は然るべき場所できちんと説明すべきだと言いながら、おそらく説明できないのではないのかと、小沢幹事長クロ説に立った辞任要求であって、かなり強い確信に立った意思表示となっている。
鳩山内閣支持率低下の元凶は「政治とカネ」の爆弾を抱えた小沢幹事長だと名指ししたに等しい批判と言える。
対して民主党は高嶋筆頭副幹事長が生方副幹事長に対して 「党内で自由に意見を言う場はいくらでもある。執行部の一員が、外部に対して執行部を批判するのはまちがいであり、責任を取るべきだ」(NHK)と辞任要求。
生方副幹事長は辞任を拒否。
「党をよくしようと思って発言したのであり、辞める理由にはならない」
「発言一つを取り上げて、よい悪いを言い出したらきりがなく、このままでは、民主党は言論の自由がない党になる。元秘書らが3人起訴されても役職を辞めない人もいる。筋の通らない話であり、辞任しない」(同NHK)
辞任を拒否したばかりか、「元秘書らが3人起訴されても役職を辞めない人もいる。筋の通らない話だ」と小沢批判をやめない。ならば解任だと決めて、昨23日昼の常任幹事会で副幹事長解任の了承、正式解任の運びとする手筈だったが、マスコミが中心となって党内外から批判が続出、閣僚からも批判が相次ぎ、マスコミも伝えていたが、これ以上の党のイメージダウンを避けるためということなのだろう、党側は小沢一郎幹事長の日程を理由に常任幹事会の開会の延期に動き、午後になって小沢幹事長が生方議員を呼んで会談。その続投要請を受けて、生方議員が続投を了承、取り敢えずの、だが、簡単には静まりそうにもない一件落着を見た。
そのことは「msn産経」記事題名の、《生方氏の解任撤回 小沢氏も支持率低下、世論の批判にたえられず》(2010.3.24 00:37 )、「時事ドットコム」記事題名の、《小沢氏、世論反発に逆らえず=求心力低下を露呈-生方氏続投》(2010/03/24-00:07)が現している。
但し波乱含みかというと、仔細に眺めてみるとそうでもないようだ。
昨3月23日夜の「NHKニュース9」が小沢・生方会談後の両者の発言を伝えている。
生方議員「まあ、幹事長から、えー、もう一度、一緒にやってくれないかっていう話で、まあ、そういう断る理由もございませんので、分かりましたというふうに、よく、お答えしました」
小沢幹事長(解任撤回理由)「自分が考えるに参議院選挙も控え、党の、オー、団結と、オー、協力が、あー、大事なときでもあるから、是非、生方君も、オー、みんなと仲良く、本来の副幹事長の職務に全力を挙げてくれと、オー、いうふうに、イー、申し上げました」
解任の方針から解任撤回の軌道修正を受けて、鳩山首相も発言の修正を行っている。先ずは解任の方針を受けたときの発言から。
鳩山首相「副幹事長の中でしっかりと議論されるべき話で、あって、それは、党の中では黙っていて、党の外で様々な声をあげると、いうことになれば、党内の規律はなかなか守れないと言うことになります――」(同「NHKニュース9」)
谷垣自民党総裁の党執行部批判の声に向けた言葉と同趣旨となっている。
解任撤回後の発言。
鳩山首相「まあ、色々と幹事長も考えられての、末の、結論だと、思っておりまして、党の中でしっかりと、議論するということになるわけですから、むしろよかったじゃないかと思っております」
だが、首相が言っているように「党の中でしっかりと、議論するということになるわけですから」とはいかない反応を生方議員は小沢幹事長との会談後に記者団に示している。
生方議員「やめろと言われて、戻れと言われて、理由がはっきりしないんで、釈然としないと、今ここにいるのは非常に居心地が悪いですよ、いうふうに(小沢幹事長には)申し上げましたけどね。まあ、参院選に向けて、一致団結も大事だし、党内で自由に言うことも、これまた、私は大事だというふうに思っておりますし、自由な発言は勿論させていただく、というふうには思っています」(同「NHKニュース9」)
上記「時事ドットコム」記事――《小沢氏、世論反発に逆らえず=求心力低下を露呈-生方氏続投》によると、撤回劇を演じたのは鳩山首相の指示となっている。
〈小沢氏がそんな強硬姿勢を転換したのは、鳩山由紀夫首相の指示があったからだ。自身と首相の政治資金問題に加え、北海道教職員組合の違法献金事件でも民主党への批判が強まる中、世論の一層の反発を恐れた首相の意向に小沢氏も従わざるを得なかった。首相は23日昼、衆院本会議場で「お騒がせしています」と声を掛けてきた生方氏に「穏便に収めるようにします」と説明した。〉――
さらに鳩山首相の「党の中でしっかりと、議論するということになるわけですから」の期待どおりにはいかない様子を記事は同時に伝えている。
〈もっとも、生方氏を続投させても、小沢氏に対する党内の批判が収まる気配はない。高嶋良充筆頭副幹事長は記者会見で「雨降って地固まるだ」と強調したが、生方氏は小沢氏との会談後、記者団に「雨が降ったら、ぐじゃぐじゃになる。そんなに簡単に固まらない」と語り、今後も小沢氏に説明責任を果たすよう求める考えを示した。〉――
〈今後も小沢氏に説明責任を果たすよう求める考えを示した〉としても、「国民は小沢幹事長が不起訴になったからといって全部シロだとは思っていない。おそらく説明できないのではないのか」と自ら小沢幹事長クロ説と看做しているから、再度の説明責任が実現されないまま辞任要求のみが続くことになることは本人も予想しているはずである。
予想していなければ、「おそらく説明できないのではないのか」と説明責任の実現を否定的に把えたりはできない。
いわば小沢幹事長は限りなくクロだとする自身の確たる断罪意識があったからこそ、それを根拠として圧倒的多数の国民は今までの説明に納得せず、幹事長をお辞めになるべきだという意見が多いと、国民の声を代弁する形で間接的に辞任を求め、尚且つ期待していないものの再度の説明を求めて、それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかないと幹事長辞任要求の最後通牒を突きつけることができはずだ。
最後通牒が満たされることによって自らの小沢幹事長辞任要求意志が果たされることになるからこそ、解任の方針が示された後も小沢幹事長批判をやめなかったということだろう。
「もう一度国民に説明すべきだ。(世論調査などで)『辞めるべきだ』との意見が減らない場合、辞めない限り次期参院選は戦えない」(《【民主・生方氏:改めて小沢幹事長辞任求める》毎日jp/2010年3月19日 10時35分)
要するに生方議員は国民に対する再度の説明責任を条件に掲げる婉曲法に立っているものの、実際には「おそらく説明できないのではないのか」と小沢クロ説を掲げていることから説明責任は実現不可能とする前提に立たざるを得ず、結果として小沢辞任要求が繰返されることになっている。
言葉を替えて言うなら、自身の主たる主張項目は小沢辞任以外を置いてほかにはないということであろう。辞任要求の意志を掲げて小沢幹事長を批判し、その仕返しに副幹事長解任の方向となったが、それにもめげずにその後も小沢幹事長を批判して辞任要求の意志を頑固に守り通した。
だが、辞任要求の意志を抱えて批判した当の小沢幹事長に解任撤回、そして続投を依頼されると、あっさりと容認した。これは相手の解任撤回に応じた自身の小沢幹事長辞任要求意志の撤回でもあったことになる。撤回することによって、小沢幹事長辞任要求意志に反する副幹事長続投容認を成り立たしめたとも言える。
このことは上記「時事ドットコム」記事が、〈23日午後、国会内の幹事長室で生方氏と向き合った小沢氏が副幹事長にとどまるよう要請すると、生方氏も「分かりました」と応じた。ただ、続けて「ちょっと話したいことがある。風通しを良くしないと…」と言いかけると、小沢氏は「今は時間がない」と告げ、席を立った。会談はわずか1分間。小沢氏は終始、硬い表情だったという。〉と書いているが、「風通しを良く」するという“改善”を求めようとしたものの、主たる主張項目であるゆえに最初に持っていくべき辞任要求を最初にも最後にも持っていかなかったことからも窺うことができる。
いわば主たる主張項目であった小沢幹事長辞任要求から続投容認へと目的のすり替えが行われたとも言える。
小沢幹事長辞任要求意志に忠実に則るなら、なぜ小沢幹事長辞任を交換条件として続投要請に応えなかったのだろうか。「いですよ。続投を引き受ける代わりに、あなたが幹事長に居座っていたのでは党のためにはならないから、幹事長を辞任してください。辞任したなら、続投を引き受けます」と。
小沢辞任要求に立っているなら、その意志を変節を避けて貫く絶好のチャンスだったはずだ。
鳩山首相や小沢幹事長が解任撤回で党のイメージダウン避ける妥協を図ったのに対して、生方議員側も、「まあ、参院選に向けて、一致団結も大事だし」と、解任決定が参院選に不利となる悪影響を避ける妥協を図ったといったところなのだろう。
「自由な発言は勿論させていただく、というふうには思っています」とは言っているものの、その「発言」は内閣支持率との関連で辞任要求意志の強弱を使い分ける機会主義的な色彩を帯びる変節を見せるに違いない。参議院選挙がどうにか戦える支持率状況にあるなら、「一致団結」を大事にし、支持率がとても戦えない最悪の危険水域に達したなら、辞任要求を再度掲げる情勢に応じたご都合主義の態度を取るだろうということである。
いわばこの程度の波乱含みの一件落着ということではないのか。
マスコミや世論の批判を受けてたちまち軌道修正を計る民主党も骨がないが、生方議員も、自民党与謝野馨が「文藝春秋」2010年4月号に『新党結成へ腹はくくった』と意気込んで題した論文を寄稿したことでマスコミに、すわっ、新党結成かと騒がれながら、その意気込みを「腹を括った」と言う割には直ちに行動には移さず、谷垣自民執行部に新党結成なら不要事項でしかない総裁以外の執行部人事の刷新を求める“腹を括った”変節に転換したように、主目的たる小沢辞任要求を交換条件とすることもできずに続投をあっさりと容認する変節を見せた分、骨のない男だと言わざるを得ないのではないだろうか。