自民党舛添要一参議院議員が3月1日に日本外国特派員協会で講演。
「自民党の政党支持率、特に谷垣総裁や大島幹事長ら執行部の支持率がどうなるかによる。民主党は長崎県知事選挙で負けたが、自民党の支持率は変わらないままか、下がっているものすらある。・・・・党執行部は、政策面で、われわれが検討している経済政策を取り入れるべきだ。そうでなければいっしょに仕事はできず、党を割らなければならない。・・・・みんなの党の渡辺代表とは共有している政策もあり、意見交換している。さらに、民主党内の小沢幹事長の独裁態勢に対する不満がポイントで、前原国土交通大臣や枝野行政刷新担当大臣、それに仙谷国家戦略担当大臣らと連携したい」(NHK)
「あらゆる選択肢がある。このまま党の支持率が低迷したり、古くさい経済政策をやるようなら、新党もあるし、(党に残って)今の党を変える可能性もある。・・・参院選前、谷垣禎一総裁を総裁の座から引きずりおろす動きが出るかもしれない。そうすれば改革は可能」(日刊スポーツ)
自民党谷川参院幹事長が本心を聞くためにだろう、3月3日に舛添を呼んで事情を聞いた。
舛添「英語での講演だったため、通訳の際に行き違いがあった」
谷川「腹を固めているなら出て行ってもらってもいい」(日刊スポーツ)
舛添「そんな気はありません」(同日刊スポーツ)
すべては通訳の際の行き違いがつくり出した執行部批判であり、谷垣降しであり、新党構想であって、自身にはそういった意図は一切ない、まっさらな無実だと釈明したというわけである。
塀に囲まれた庭の中から通りすがりの大型犬に向かってきゃんきゃん吠え立てるだけの小犬といったところだが、強がりしか能がない子犬と暴いたのではマスコミにとって何の利益にもならないから、すわっ、谷垣降しか、党を割って、新党結成かと大騒ぎに取り沙汰した。顔だけはコワモテだが、中身は子犬と知らずに次の首相にしたいナンバーワンの舛添でもある、当然の反動として谷垣総裁の求心力に影響を与える。
もう既にこの時点で谷垣総裁が総裁選で掲げて当選した「みんなでやろうぜ全員野球」に綻(ほころ)びが生じることとなった。
そこへきて自民党与謝野元財務相が3月10日発売月刊誌「文芸春秋」4月号掲載論文で、夏の参院選前に谷垣禎一総裁ら執行部の刷新を求め、実現しない場合は新党結成も辞さないと短刀を突きつけた。
尤も舛添の「通訳の際に行き違い」も、与謝野の短刀も谷垣腹心の川崎二郎国会対策委員長からすると、「舛添さんも与謝野さんも、何が不満かわからないが、後ろから鉄砲を撃ってくる」と、より強力な鉄砲に格上げしている。
後ろからの鉄砲ということなら、それが強力である分、「みんなでやろうぜ全員野球」はより危険に曝され、弱体状態にあることを示す。
尤も与謝野馨は論文について、「自民党がこのままの体制で、夏の参議院選挙で勝利できるか疑問だ。単なる権力闘争ではなく、自民党は新しく出直すべきだという問題提起だ」(NHK)と自らが主宰するグループの会合で説明したという。
2009年9月28日に「みんなでやろうぜ全員野球」で新しく出直したはずである。それから約半年、再び「自民党は新しく出直すべきだ」と与謝野は「問題提起」した。
「みんなでやろうぜ全員野球」を「出直すべきだ」と「問題提起」したのである。半年前の「みんなでやろうぜ全員野球」は何だったんだとうことになるが、与謝野にはそんなことは頭にないに違いない。
要するに「みんなでやろうぜ全員野球」は何ら意味を成さなかった。
反執行部分子の出現はその反動として執行部擁護分子の誘発を伴う。「総裁選で『みんなでやろうぜ全員野球』の谷垣総裁を我々は選んだのだから、しっかり支えなければならないはずだ」とばかりに。
だが、掛け声ばかりでは反執行部分子を宥めることはできない。自民党が審議拒否して、それを貫き通すことができずにたったの3日間で審議復帰して政府の予算案通過に間接的に手を貸してしまった川崎二郎国対委員長への風当たりが強まっていることから、反執行部共々その交代を求めて、執行部刷新を国対委員長のみにとどめてガス抜きを図る動きが出てきたらしい。
だが、「みんなでやろうぜ全員野球」の破綻を自ら証明することになりかねない執行部刷新の考えはないことを示していた谷垣総裁にとっても、腹心である川崎国体委員長の交代は両刃の剣となる。交代はさせたものの、党支持率が上がらなければ、最終的責任は谷垣本人に及んでくる。
このことは執行部の入れ替えといった刷新についても同じことが言える。党執行部を刷新したからといって、あるいは国対委員長を交代させたからといって、支持率が上がる保証はないからだ。
反執行部分子や執行部擁護分子に押し切られる形で執行部の刷新、あるいは一部幹部の交代を成し遂げたとしても、あるいは最終的な責任が自分に及ぶことを恐れて、現在のメンバーを維持するにしても、「みんなでやろうぜ全員野球」は既に破綻していることを示している。
人事を支配し、政策を利益誘導に結びつける派閥力学横行の弊害が長く言われていたにも関わらず、派閥のボスも力学も何もかもベンチに入れる「みんなでやろうぜ全員野球」を掲げ、それを党の体制としたことは従来の党体制を引き継ぐことに何ら変わりはなく、そもそもからして野党転落からの“自民党再生”に矛盾する旗印だったのである。
いわば「みんなでやろうぜ全員野球」が“自民党再生”を掛け声で終わらせることとなった。自民党再生の機能を内部に持たない「みんなでやろうぜ全員野球」だったとも言える。
あるいはこうも言える。「みんなでやろうぜ全員野球」と“自民党再生”は相反する価値観であったと。“自民党再生”への力が働けば、「みんなでやろうぜ全員野球」は圧力を受ける。「みんなでやろうぜ全員野球」に意思の集約が働けば、“自民党再生”意思は排除を受ける。
現在のところ支持率の低迷が“自民党再生”の方向に力を与えることとなっているために、「みんなでやろうぜ全員野球」が迫害状態にあるということなのだろう。