鳩山離党・新党騒動が皮肉にも暴いた与謝野の新党本気度

2010-03-18 05:35:20 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――

 与謝野の文春論文は何だったのか――

 《【自民党苦悩の現場】反執行部のキーマン3人、それぞれの行動パターンは…》msn産経/2010.3.14 19:16)

 記事は鳩山邦夫が3月14日日曜日にフジテレビ「新報道2001」で新党旗揚げへの意思を示したことに関係させて本人と与謝野馨、舛添要一それぞれの消息を伝えた内容となっている。

 〈新党辞さず

 鳩山と与謝野は急接近している。

 鳩山は、与謝野が衆院予算委員会で首相の兄、鳩山由紀夫に「平成の脱税王」などと攻撃した2月12日の前後数回、与謝野事務所を訪ねていた。そのころから鳩山は、民主でも自民でもない「第3の党」を模索し、複数の自民党議員らとの接触を試みてきた。与謝野もその一人だった。

 「野党議員たる姿」を見せるため、由紀夫の政治とカネの問題をめぐる核心の情報の提供を求める与謝野に、鳩山は自らも傷つきかねない問題にもかかわらず協力した。与謝野と向き合ってつついた同事務所近くのトンカツ屋の弁当が好物になるという「おまけ」もついた。

 与謝野も、2月19日昼、側近の幹事長代理、園田博之(68)とともに、鳩山を紀尾井町の中国料理店に招待し、「失望した」と2日前の党首討論での総裁、谷垣禎一への感想を述べると、3人は一気に新党話で盛り上がり、今後も定期的に意見交換することで一致した。与謝野は周辺に「鳩山はわれわれの仲間だ」と語っている。〉――

 要するに兄由紀夫の母親からの資金提供に関わる情報を弟の邦夫が提供以来、鳩山邦夫と与謝野馨は急接近し、お互いに“新党結成意志”を持ち合った。

 記事は続けて次のように与謝野の動向に言及している。

 〈「新党」について本格的に言及したのは与謝野が先だった。
 「執行部を交代させて新生自民党を立ち上げるのか、新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていくか、時間は差し迫っており、私が決断を下す時期はそう遠くはないだろう」

 10日発売の「文芸春秋」4月号の論文で与謝野はこう記し、自らを鳩山と同様に「捨て石」と表現した。

 論文の発表に、自民党内では「与謝野氏は頭がよいから、すぐ『選挙が戦えない』と思い詰める。展望がある感じはない」(閣僚経験者)と冷ややかだ。

 与謝野は文芸春秋の発売後、表での発言を控えるようになった。「執行部がどう動くかを見極めたいからだ」(周辺)という。その間も与謝野と鳩山は11日、極秘に会談した。〉――

 【パラダイム】「ある一時代の人々のものの見方・考え方を根本的に規定している枠組みとしての認識の体系」(『大辞林』三省堂)

 「執行部を交代させて――」云々以下はおどろおどろしいばかりの宣言であるが、どちらの「決断」が事の重大性を担っているかと言うと、明らかに「新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていく」ことの方にあるはずである。

 逆説するなら、軽々しくは宣言できない“新党結成意志”であり、いざというときは新党結成に向けて行動する覚悟を既に用意していたはずだ。

 いわば覚悟の点で、執行部交代に向けた意志の発動よりも新党結成に向けた意志の発動の方が遥かに多くの覚悟を必要とするはずだから、後者により重きを置いて論文に書いたはずである。

 だからこそおどろおどろしいニュアンスを見せることとなった。

 こうも言える。口先だけの「決断を下す」選択肢の一方に掲げた「パラダイム」の希求では決してなかったはずであると。

 谷垣自民党執行部側から見ても、執行部交代を求める動きよりも、新党結成の動きの方が事は重大であったであろう。

 記事は次に舛添要一の動きを次のように書いている。

 〈静観貫く


 「今は予算委で忙しいから…。これが終わってからじゃないと動けない」

 舛添は現在、参院予算委員会の自民党筆頭理事の仕事に「全力投球」したいと強調している。

 「『自民党』という名前は古い」「党内の賢明な政治家が、谷垣氏に辞任を促す方向になるだろう」などと、執行部批判や新党を積極的に発信してきたのは、与謝野よりも舛添だった。

 昨年末、落選議員らを対象にした「舛添政治カレッジ」を立ち上げた。2月17日には元総務相、菅義偉らと「経済戦略研究会」を発足させ、会長についた。党内での基盤づくりとの見方がもっぱらだ。

 13日には、テレビ番組で「社長を代えないで専務、部長を代える人事はあり得ない。責任を取るというのはそういうことだ」と谷垣執行部の一新を求めた。

 しかし、「私とどっちが先に新党を作って飛び出すかというと、与謝野氏が先の勢いだ。私は新党から党内改革まであらゆる可能性がある」とも述べ、行動は慎重にする考えをみせた。〉――

 そして鳩山邦夫は14日にテレビで新党結成の発言をした翌日の15日に離党届を提出、さらに記者会見での新党結成意志の宣言。但し鳩山邦夫の与謝野馨と舛添要一に対する新党結成への誘いに両者の反応は鈍かった。

 与謝野馨は昨17日に自らが主催する勉強会勉強会「正しいことを考え実行する会」を開催、次のような発言があったと、《“総裁除き執行部の交代を”》NHK/10年3月17日 16時44分)が伝えている。

 園田博之(幹事長代理を辞任)「今の執行部のメンバーでは、いつまでも自民党を支えられない。執行部を若返らせて、これからの自民党を支える世代に交代させるべきだと考えた」

 出席者の一人「新党を立ち上げることが目的ではなく、ほんとうの目的は党改革だ。谷垣総裁は、自民党員みんなで選んだので代える必要はないが、危機感がない執行部を一新しなければ信頼を取り戻せない」

 「今の執行部は一致団結を呼びかけるが、われわれも思いは同じだ。体制も何も変えないまま団結して、執行部が正しいと勘違いしてしまうのは避けなければならない」

 結果、〈谷垣総裁を除く執行部を交代させるべきだという認識で一致〉、〈こうした意見を直接伝えるため、谷垣総裁に会合への出席を求めることにな〉ったという。

 記事が書いている“出席者の一人”とは与謝野本人のことではないだろうか。新党立ち上げを宣言したのは与謝野その人である。その「目的」を直接的に解説するのは本人しか資格はない。他人が本人に代わって「目的」を推測、あるいは代弁した言葉とはなっていない。例え与謝野本人ではなくても、大体が、「新党を立ち上げることが目的ではなく、ほんとうの目的は党改革だ」では、何のために論文を通して“新党結成意志”を世間に宣言したのか、その意味を問われることになる。

 ここでもう一度与謝野馨が文芸春秋に書いたという一節を取り上げてみる。

 「執行部を交代させて新生自民党を立ち上げるのか、新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていくか、時間は差し迫っており、私が決断を下す時期はそう遠くはないだろう」――

 “新党結成意志”と対比させて掲げた“執行部交代要求”である。事の重大さは新党結成の動きの方にあるものの、「谷垣総裁を除く執行部交代」では、“新党結成意志”と対比させた事の重大性を失い、尻すぼみの感が否めない。覚悟の程がその程度でしかなかったということにもなる。

 また舛添要一の「社長を代えないで専務、部長を代える人事はあり得ない。責任を取るというのはそういうことだ」とした谷垣を含めた“執行部交代要求”と比較した場合でも、与謝野の一歩引いた、あるいはより柔な谷垣総裁無罪放免の“執行部交代要求”となっている。

 尤も舛添の谷垣を含めた“執行部交代要求”は自身が総裁に取って代わって首相への最短距離の位置取りをしたい自己利害からの欲求だろうから、その点で与謝野との違いが出たということもあるだろうが、それでも“新党結成意志”と対比させた選択肢である以上、それ相応の覚悟を持った“執行部交代要求”であるべきであった点からすると、“新党結成意志”と対比させる必要もなかった最終決定に見えて仕方がない。

 大体が谷垣総裁が人事決定した谷垣以下の執行部である。例え派閥の意向をも汲んだ人事であっても、そのことをも含めて最終的意思決定者は谷垣本人であって、その責任は谷垣自身が負っている。誰と誰を決めた本人の責任を問わずに、誰と誰だけの責任を問うのは矛盾している。そういった矛盾を犯す与謝野でしかないということになる。

 また新党結成とは結成した本人がトップに立つということであって、それまで所属していた党のトップを否定するか、あるいは少なくともそれまで所属していた党の体制を否定することでもある。いわば与謝野は“新党結成意志”を示した時点で、既に自民党トップの谷垣総裁そのものか、あるいは谷垣党体制を否定していたのである。このことにも矛盾する谷垣総裁以外の“執行部交代要求”となっているが、自らの矛盾に全然気づいていない。

 鳩山邦夫がテレビ番組で、“新党結成意志”を示した14日日曜日よりも4日前の10日に与謝野馨主宰の勉強会「正しいことを考え実行する会」を党本部で開いた記事、《与謝野氏が勉強会、具体的な行動は明言せず》YOMIURI ONLINE/2010年3月10日21時10分)に次のような件(くだり)がある。

 〈会合では、丸山和也参院議員が「論文であそこまで書いた以上、きちっとした行動を起こすしかないのではないか」と離党を促した。与謝野氏は黙っていたというが、会合後には「(丸山氏の主張は)その通りだと思う」と記者団に語った。〉――

 丸山議員は論文から“執行部交代要求”よりも“新党結成意志”に事の重大さを見て、覚悟の程を感じ取った。対して与謝野は会合後に記者に「その通りだと思う」と論文に添う覚悟を示したということであろう。

 勘繰るとするなら、こういうことではないだろうか。「執行部を交代させて新生自民党を立ち上げるのか、新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていくか、時間は差し迫っており、私が決断を下す時期はそう遠くはないだろう」はまだ言葉のままとどまっていたが、鳩山邦夫が離党して“新党結成意志”を公にし、与謝野と舛添に新党参加を求めた途端に言葉だけで済ますわけにはいかなくなって、現実の問題として選択を迫られた。

 そして選択した道が新党は早々に矛を収めた谷垣総裁以外の“執行部交代要求”であった。その程度の与謝野の新党本気度だったということであり、その程度ならわざわざ月刊誌を利用して論文を書く程でもなかったことになる。

 与謝野は新党撤退の発言を《自民党:与謝野氏と舛添氏 党にとどまる姿勢を鮮明に》毎日jp/2010年3月18日 2時30分)が次のように伝えている。

 与謝野「ワインは熟成するまで10年以上かかる」

 鳩山邦夫が「日本一頭のいい政治家、与謝野馨」と言っただけあって、なかなかの名言となっている。政治の今の状況が緊急に必要としていると考えたからこそ出た“新党結成意志”でなければならないはずだが、それを例え比喩だとしても、「10年以上」先の“今”ではないとしている。

 与謝野の勉強会の名称が「正しいことを考え実行する会」だとはなかなか皮肉で滑稽な意味を漂わせることになる。

 記事は舛添が会長を務める17日開催の「経済戦略研究会」での舛添の発言も伝えている。

 「敵は鳩山政権だ。新党を作るとか、そういうことを先にやるからおかしくなる」

 舛添の自己利害は自民党にとどまって自身が総裁になることだから、日本外国特派員協会での「自民党を改革するか、新党を立ち上げるかの両方の選択肢を考えている」の“新党結成意志”にしても、単に谷垣執行部にプレッシャーをかけ、追い落とす犬の遠吠えに過ぎなくなり、このことからすると、「新党を作るとか、そういうことを先にやるからおかしくなる」はよくも抜けぬけとした(「無知で厚かましい」『大辞林』)発言となる。

 結果として鳩山邦夫の新党結成に向けた具体的な動きが与謝野と舛添両者の“新党結成意志”のなさを炙り出したといったところだろう。大山鳴動ネズミ一匹どころか、シラミ一匹程度の拍子抜けではなかったのか。

 与謝野の場合、鳩山邦夫の党の中にいながら外に向かって党の批判をするのはおかしいとする“批判基準”が促した新党撤退、谷垣以外の執行部交代要求の可能性もある。

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